いまで言う“精神世界”というジャンルはそれほど古くからあったわけではありません。
60年代までは、そういう類の本はいわゆる“宗教書”の書棚に紛れて並んでいたものでした。
必ずしも組織宗教に関心があるわけではないといった読者たちが本屋で手に取ることができたのは、いわゆる仏教書のほかには、出口王仁三郎など古神道系の“御神示”、そしてわずかのインドやチベットの聖者たちの翻訳本といった感じだったと思います。
しかしそのころから英語圏ではなにやら大きなうねりが始まっていたんでしょうね。
とても旧来の宗教的枠組みに収まりきらないような情報がどこからか湧いてきていたのだと思います。^^;
その動向をいち早く察知していたのか、当時「たま出版」を創設した瓜谷侑広社長のネズミ色のカバーの本で“精神世界”という言葉をはじめて見た記憶があります。
たまたまそのころ(70年代)の職場が神田の神保町にあったので、毎日昼休みと退社時には本屋を梯子して歩くのが趣味でした。(^^;)
毎日見ていると不思議なもので、書泉グランデや三省堂のお目当ての本棚の前に行くと、一瞬で新しい本はわかったものです。(当たり前ですよね。(*^_^*))
だから和尚の本も最初から目にしていました。
もっとも……なぜかすぐには手に取りませんでしたが……。^^;
でも記憶にあるかぎり、いわゆる“精神世界本”という言葉の意味を実感したのは、90年代に入ってからのことでした。
80年代の末にある種のゲートが開いたとかいうことで『バシャール』が入ってきましたよね。
しかしわたしの場合は『バシャール』を少し後に読んだので、最初に情報の質の明らかな変化を感じたのは、ここでご紹介する『プリズム・オブ・リラ』でした。
“「長年抱き続けてきた疑問を、よくぞ晴らしてくれた!」これが、本書に初めて接したときの私の正直な気持ちだった。”と翻訳者の保科一美さんは「訳者あとがき」を書き出しています。
まったくこの本を初めて読んだときの感動はそのようなものでした。
続きは→http://ameblo.jp/aurasoma-unity/theme-10017723052.html
- 感想投稿日 : 2010年1月27日
- 読了日 : 2010年1月27日
- 本棚登録日 : 2010年1月27日
みんなの感想をみる