その姿の消し方

著者 :
  • 新潮社 (2016年1月29日発売)
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感想 : 46
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『言葉は、だれかがだれかから借りた空の器のようなもので、荷を積み荷を降ろして再び空になったとき、はじめてひとつの契約が終わる。ほんとうの言葉は、いったん空になった船を見つけて、もう一度借りたときに生まれるのだ』ー『テッキブラシを持つ人』

堀江敏幸を初めて読んだのは「河岸忘日抄」という現(うつつ)とも虚(うつろ)ともつかない、それまで出会ったことのない文章の綴られた本を通してだった。言葉が幾つもの意味を同時に響かせる。文章は一つのことを追うようでいて、棹刺す川底の軟らかさで行く先をしかと見定められない船のように、漂う。読むことの手掛かりは何とも頼りのない外国語の音、そして聞いたことのないような漢字の連なりの意味するところ。しかし、自分が何を読んでるのかも解らないその文章には、千々に乱れた思考の果てで何処にも辿り着かないようでいていつの間にか見晴らしのよい場所に自分が立っているのに気付かされる不思議な高揚感があった。

以来、エッセイや小説を問わず気が向くままに堀江敏幸を手にとって来たが、あの定めのないモラトリアムに浸ったような文章には中々出会えなかったような気がする。日本語の美しさの目立つ文章には、言葉に仕掛けられた恣意が少しばかりバラの棘のようで疎ましく感じることもあった。日本語はどこまでも滑らかに綴られる。だのにひらがなと漢字の間にある角張った小さな段差に足を取られる。するりと飲み込んでしまいたいのに喉の奥でいつまでも落ち切らず留まってしまうものが残る。そんな繰り返しだった気がする。

「その姿の消し方」を読み始めて直ぐに思い出したのは「回送電車」を読んだ時の印象と似ているということ。これは随筆なのか小説なのか、にわかに結論を出してはならない、とはやる気持ちを抑える必要があった。個人の家を写したと思われる絵はがきに四角く書き付けられた詩のような文章の書き手を辿るミステリー仕立ての話のようにも見える。けれど、似ていてもほんの少し詳細が異なるモチーフを作家が膨らませただけなのかも知れない。作家はと言えば自身の不注意さや記憶の曖昧さを嘆きながら、ベーカー街の探偵のさながらに小さな違いを見逃さず、背景に潜む大きな物語を紡ぎ出す。それは堀江敏幸の得意とするところだから。しかし、ここにあるのはどうやら「河岸忘日抄」に綴られた記憶と響き合う記憶を巡る物語が下敷きにあるようだ。それが見えてくると過剰に身構えて固くなっていた身体が徐々にほぐれ、言葉の流れに身を任せて漂うことが出来るようになる。この感触を待っていたのだ、と自覚する。

とは言え「本の音」などというタイトルで言葉遊びをする作家のことである。フランス語で記された副題をうっかり読み込み過ぎない方がいいのかも知れない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2016年4月27日
読了日 : -
本棚登録日 : 2016年4月27日

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