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こういうノウハウ本は、自分に役立ついくつかの方法が吸収できればそれでよい。本によって、これはいいと思える方法が多く見つかる場合と、それほどでもない場合がある。この本は、それほど多くはなかった。しかしいくつかは見つかった。
たとえば、アメリカの心理学者ズーニンは、「最初の4分間が大切だ」と主張する。最初の4分間を乗り切れば、マインド・セットが出来上がってあとは楽になるというのだ。
私もいやなことは後回しにするクセがあるが、とにかく4分だけやってみようとやり始めると、めんどくさいと思っていた気持ちが消えて、けっこう20分、30分できてしまう。だからとにかく数分だけやってみる。これは忘れずにいたい。
もう一つ、本はいきなり読み始めるのではなく、まず全体をつかんでから読むのが能率的だという。表紙や裏表紙に書かれているセースルポイント→まえがき、あとがき、目次→各章の最初と最後の10行というように全体像に迫っていくという読書法。
私も、高速回転読書法を読書の一つの方法としているが、まず全体像をつかむ方法として章の最初と最後の10行を読むというのはよさそうだ。さらに節の最初と最後の数行戸いうように細部に迫るうちに、重要な個所が見えてきて、そこを重点的に読むなど。
2011-10-22
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読み終わった
(2011年10月22日)
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東大文、司法試験などにすべて2年以内で受かったという「カリスマ弁護士」が公開する勉強法。この手のハウツーものは、読んで自分の役に立つところを取り入れればよいわけだが、私にはかなり役に立つ方法が多かった。
たとえばある科目なり分野を勉強するときには、まずは分量が少なくて理解しやすい入門書を何度も回転させるとよいという。回転させるとは、素早く何度も読み通すということ。分量の少ない本を、わからない部分は気にせずに何度も何度も回転させるわけだ。同じレベルの複数の入門書を何冊か読むという方法もあるが、どちらをとるかは好みや、それだけ入門書があるかなど条件の問題だろう。
また著者は、勉強するとき、1時間1単位と決めて、勉強を進め、1時間終了するごとにその時間で何を勉強したかを頭の中で5分間「反芻」したという。この5分間が「黄金の記憶保持作業」となるということは、脳科学の知見からしても理にかなっているだろう。私がこれを応用するとすれば、本を一時間読んだら、5分間でその内容を反芻する。そして関連する目次部分や本の裏の余白などにキーワードのメモを入れていく。インプットの後にアウトプットの練習をしておくわけだ。
著者は、「詰め込みと丸暗記は勉強の王道である」ともいう。人は記憶する作業を続けているうちに記憶力がどんどんよくなっていくからだ。そして記憶力に年齢は関係ない。私も60歳をすぎているが記憶力は徐々に高まっている気がする。記憶する作業を続けているうちに、脳内の神経細胞であるニューロンの数は年齢に関係なく増加するそうだ。その増加に伴って記憶力は飛躍的に向上する。
シュリーマンは語学の天才で、数か月もかからず一つの言語をマスターし、ゆがて十数か国も操れるようになったという。その彼も、最初は記憶力が悪かった。しかし、マスターしたい言語で書かれた一冊の本を丸暗記する方法を繰り返すうちに、信じられないほど記憶力がまし、簡単な文章なら2~3回目を通しただけで覚えられるようになったという。記憶力は、やればやるほど効果が上がっていくらしい。
この他にもさまざまなノウハウが紹介されており、私にはかなり役立つ情報が多かった。
2011-10-22
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読み終わった
(2011年10月22日)
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先に紹介した同じ著者の『コミュニケーション力』は、コミュニケーション全体にわたって、豊富な実践と経験を踏まえ、多くの示唆に富む本だった。
『質問力』は、コミュニケーション力の中の質問力に特化して、日本人があまり得意でない質問力を技としていかに磨くかが、これまた豊かな発想と実践を踏まえて語られている。個人的には「質問力」をみがくグループワークなども紹介されていて役にたった。
著者は、「コミュニケーション」の秘訣は「質問力」にあり、という。
「質問は網だ。しっかり作っておけば、いい魚がとれる」ともいう。実際、聞き方がうまければ、自分に話題が乏しくても、相手の深い話を聞けたり、聴くことで相手をサポートできたり、有益な情報をもらえたりなど、コミュニケーションを深めることができる。
よい質問とは、相手の苦労や積み重ねてきたものを掘り起こすような質問であり、また相手の奥底にあるような経験を引き出すような質問であるという。ともあれ、質問力を意識して会議や日常の対話に臨むか否かで、コミュニケーションの質は大きく変わることが自覚でき、自分もこれからそうしようと思える本だ。
ちょっとした小技が紹介されていつのも役に立つ。たとえば公園など話を聞いている最中にいくつかの質問をメモしておき、その中からいくつかを取捨選択して質問をするなど。
2011-10-10
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読み終わった
(2011年10月10日)
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『森から生まれた日本の文明』では、ユーラシア大陸の文明を「寄生文明」と呼び、日本の文明を「共生文明」と呼ぶ。「寄生」という言葉自体は、かなり批判的なニュアンスが強く、刺激的だが、要するに自然に「寄生」するという意味だ。
乾燥した大草原を舞台とした麦栽培、羊や山羊などの家畜を飼育する草原農耕文明は、早くから階級分化と支配がはじまり、都市文明が生まれた、人間中心の文化は、森林を破壊しながら自然に寄生する文明として成熟していく。
森林を破壊した文明は、メソポタミア文明に端を発し、地中海地域からヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカやオーストラリアにまで拡散したという。黄土高原で生まれた黄河文明もまた、一方的な略奪と地力の搾取によって、その文明を支えた母なる大地を荒廃させ、森林を食いつぶした。
草原の資源が枯渇すると森に依存し、森が枯れれば森を捨てる。この人間中心の自然征服型文明は、わずか1万年あまりの間に地球を支配してしまった。
一方、日本列島は周囲を海に囲まれていることもあり、大陸の諸勢力が侵入することもなく、縄文時代から弥生時代にかけて、森林と共存しながら稲作が成立した。日本では、水田耕作社会を維持するためには、背後の山や丘陵の森林が不可欠とされた。これこそが、森林・自然との「共生」を維持しつづけた日本の複合農業文化であった。
日本文化の基層には、縄文時代以来の森の文化の伝統が流れている。弥生文化がはじまったとき、日本は稲作を受け入れたが、羊や山羊などの肉食用の家畜は受け入れなかった。その理由の一つは、日本の稲作が、羊や山羊などの家畜を持たない長江流域から伝播したからだという。もう一つの理由は、森の文化にとって家畜は天敵であり、それを知っていた縄文人が、家畜の受け入れを拒んだ可能性だ。
家畜は、森の若芽や樹皮を食べつくして森を破壊する。家畜を伴わない稲作文明だったからこそ、日本は豊かな森を維持することができた。また、肉食用の家畜を伴わなかったからこそ、ユーラシア大陸とは違って、人間と他の生物を厳然と区別しないユニークな人間観・生命観を維持することができた。
2011-09-24
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読み終わった
(2011年09月24日)
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他の著者の、コミュニケーションや対話に関する本もいろいろ読んでいるが、書かれている内容や、踏まえられている実践や経験の濃密さは、齋藤氏のこの本が群を抜いている。学生時代の「対話」に費やされた情熱や、大学の教室などでの膨大な実践での経験が凝縮されている。
この中で紹介されたいくつもの方法が、それぞれ独立の本となっている。『偏愛マップ』や『質問力』がその例だ。
現代の若者に欠けている対話やコミュニケーションの力、かつての日本には満ちていたが、現代の教育現場に欠けている身体に深く根差した教育力など、今の日本に欠けている大切なものを取り戻すために、この人の紹介する数々の実践的な方法を、もっと普及させるべきだと思う。
2011-09-24
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読み終わった
(2011年09月24日)
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教育関係者だけでなく、子どもかかわる多くの人に、あるいは子育てに悩む親に広く読んでもらいたい本だ。学級や学校の崩壊が深刻な問題となっているが、著者は長年、中学校の現場で崩壊を喰い止めようと真剣に取り組み、素晴らしい成果を得てきた教師だ。その誠実な取り組みから滲み出てくる文章に深く共感する。著者の実践の大前提は「どこまでも子どもの性善なることを信じ、その成長を心から願う」という姿勢である。そうした姿勢の背景には、さらに「人間は生まれたときから死ぬまでの間だけ生きているような、はかない存在ではない。一人ひとりの個性はもっと深い存在根拠をもつ」というシュタイナーから学んだ死生観がある。そんな教育観、死生観を基盤にして、学級や学校の崩壊を食い止めるための、著者が体験から確認してきた「勘どころ」が多くの実践例とともに、きわめて具体的にていねいに語られていく。そこには、教育現場だけではなく、子どもに対するすべての大人にとって大切な「勘どころ」も含まれる。教師たちにこういう人間観と子どもへの誠実な姿勢、真剣さ、「勘どころ」があれば、確かに学校の荒れは食い止められるだろうと得心できる内容だ。
2011-07-06
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読み終わった
(2011年07月06日)
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読み始めるとすぐに強く引きこまれ、yokoと姉と母が無事に日本に到着することを願いながら夢中で読み進んだ。苦しく辛く、悲惨な死と隣り合わせの逃避行だが、家族3人が挫けずにけなげに助け合いながら生きようとする姿に感動する。日本に着いて間もなく母が亡くなる場面や、朝鮮で知り合いお互いに助け合った「おじさん」と再会する場面などでは思わず目頭を熱くした。そして現代の日本に生きる幸せを思い、その幸せの中で何か大切なものを見失っているのではないかと感じる。これは、戦争の悲惨さを11歳の少女の生の体験から描いた優れた読み物だ。この本から、日本と韓国の間の不幸な歴史に視野を広げていくこともできる。これほど感動を与える本の日本語訳がなぜないのか。
2011-07-06
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読み終わった
(2011年07月06日)
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「京都議定書の例外扱い要請へ 政府、原発事故受け」( 2011/4/5 日本経済新聞)、「国連、日本の温暖化対策見直しに反対を表明」: YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://t.co/83MBw9B via @yomiuri_onlineなどのニュースが流れているが、 もともと京都議定書がいかに欺瞞に満ちた欧米諸国の策略かは、この本の中でも厳しく指摘されている。
2011-04-05
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読み終わった
(2011年04月05日)
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ぶたのブッタとシッタカブッタを主人公にした4コママンガの形をとっていて、とても親しみやすい。しかしマンガといっても、そのなかでさりげなく語られている内容は、 人の生き方についてのとてもとても深い真実に触れている。
精神世界やニューエイジ、東洋思想などに関心のある人たちにはなじみぶかい考え方かも知れないが、そんな考え方を知らない中学生や高校生にどう語るかこまってしまうこともある。このマンガは、かわいいブタと、語られる内容が不思議にマッチしていて、 変な押しつけもなくすんなり心に入ってくる。私の息子や娘(高校生と中学生)も、読めと言わないのに夢中で読んでいた。
とくに(1)の前半は、シッタカブッタの恋の悩みを中心に語られているから、中学・ 高校生たちは身につまされる話だだろう。「これ、俺のことみたいだ、私と同じね」な どと、笑ったり共感したりしながら、いつしか人生の深い真実に導かれる構成になって いる。
息子や娘だけでなく、身近な多くの人に読んでもらいたいと思った。
2011-04-04
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(2011年04月04日)
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『古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)』であまりに有名なシュリーマンが、トロイア発掘(1871年)以前に世界漫遊の旅に出て、幕末(1865年)の日本にも上陸し、旅行記を残していたのである。翻訳(石井和子)の素晴らしさもあってとても読みやすく、内容も興味尽きない。素直に偏見なく観察し、理解し、正確に記録しようとするシュリーマンの強烈な好奇心がにじみ出ており、こうした精神のしなやかさや探求心が、トロイア発掘につながっていくのだとうことが納得できる。
シュリーマンはいう、「これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激しきった面持で日本について語ってくれた。私はかねてから、この国のを訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。」当時、日本を訪れた外国人たちが、その印象をどのように語っていたかが分かる一文である。
シュリーマンは、横浜から江戸に行く。当時、尊王攘夷運動が活発で外国人にとって江戸はかなり危険だったが、江戸を見たいという思いの方が強いのである。
浅草寺を訪れ、あるお堂の仏像の傍らに「おいらん」の肖像が飾られている事実に驚愕し、呆然としている。「日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。」「それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた。」
仏像と「おいらん」を並べてしまう日本人のタブーのなさ、宗教的ないい加減さ、というかおおらかさは、シュリーマンにとっても理解を超えていたのだろう。しかし、以下の記述からもわかるように、短い滞在(約3ヶ月)にも関わらず日本人の宗教心について全体的に的確にとらえている。
「日本人の宗教心について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺の民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。」
ここで「真の宗教心」は、キリスト教を判断の基準としており、あとで紹介する彼の文章と合わせて考えると若干の偏見を感じるが、シュリーマンが観察した状況は、江戸時代も現代もほとんど変わっていないようだ。宗教儀式が娯楽と渾然一体となり、宗教なのか娯楽なのか習俗なのか分からないという状況も、今と変わらない。
シュリーマンは、将軍と大名の関係に触れ、大名が臣下として服従していながら将軍に対抗する姿勢ももつと言っている。そして日本の社会システムについて次のようにいう。
「これは騎士制度を欠いた封建体制であり、ヴェネチア貴族の寡頭政治である。ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕作された土地が見られる。」
ここで「労働者階級は無である」というのは、もちろん政治権力としては無であるという意味だろう。この本はフランス語でパリで出版されている。フランス革命時の「第三身分は無である」が意識された表現かもしれない。注目すべきは次の文章で、にもかかわらずどの階級でも、区別なく平和、満足感、秩序、勤勉さ(よく耕作された土地)が行き渡っているというのである。つまり、先に挙げた清潔さとともに「日本の長所」としてまとめた項目のいくつかが、シュリーマンの報告から浮き上がってくるのである。
最後に「日本文明論」という短い章で、シュリーマンは「日本の文明をどう見たか」をまとめている。
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人はきわめて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明圏以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知のなかに放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。だがもし文明という言葉が次のことを意味するならば、すなわち心の最も高邁な憧憬と知性の最も高貴な理解力をかきたてるために、また迷信を打破し、寛容の精神を植えつけるために、宗教――キリスト教徒が理解しているような意味での宗教の中にある最も重要なことを広め、定着させるようなことを意味するならば、確かに本国民は少しも文明化されていないと言わざるを得ない。」
全体にシュリーマンは、当時の日本の姿を、ヨーロッパ人の偏見からきわめて自由に、好奇心と好意と尊敬に満ちた明晰な眼で観察している。しかし宗教的な観点では、やはりキリスト教の偏見から抜け切れていない。要するに彼は、宗教的な面以外では日本人は高度に文明化しており、教育はヨーロッパより普及しているが、われわれのようなキリスト教をもっていない以上、真の意味で文明化しているとは言いえない、と言っているのだ。
一瞬垣間見れるこのような限界は、にもかかわらず、この本の価値を少しも減じていない。彼が描き出す、当時の日本の現実のなまの姿が細部に渡って生き生きと輝いているからだ。
2011-01-21
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読み終わった
(2011年01月21日)
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最初にこの本の中の代表的な心理学実験を紹介する。画面上に5人の人物を示し、その中心にいるリーダー格の人物の表情(怒り、悲しみ、喜びなど)から、その人物が感じていると思う感情の強さを実験参加者に判断してもらうというものだ。ただしある画像では、中心人物が笑顔を見せ、他の4人も笑顔だが、他の画像では中心人物は笑顔なのに他の4人は怒っているという違いを作っておく。参加者には、あくまでも中心人物の表情からその感情を判断してもらうよう念を押した。
結果は、日本人の実験参加者は、背景の人々の表情に影響されて中心人物の感情を判断する度合いが強かったという。これに対してアメリカ人の参加者は、周辺人物の表情からの影響をまったく受けないで判断をしたという。さらに画像を見ているときの視線のパターンを測定したところ、日本人の場合は、周辺への注視が平均して15パーセントあったのに対し、日本在住の欧米人の場合は、周辺への注視はほとんどなかったという。総合的な結果を見ると、周辺の人物への注視度は、日本在住の日本人で一番大きく、続いて東アジアからカナダへの留学生、東アジア系カナダ人、そして最後にヨーロッパ系カナダ人とう順が確認されたという。
この実験結果をうまく使って出版社が作ったのが、『ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人』というこの本のタイトルなのだろう。
この実験は「文化心理学」の立場から、その考え方を立証するために行われた実験のひとつである。文化心理学では、個々人の信念や考え方の差もあるだろうが、それを超えた文化による差も大きいと考える。日本をはじめとした東アジア文化圏と、アメリカ、カナダ、オーストラリア、そして西欧など欧米系文化圏とに二分したときに、それぞれの文化圏に特徴的な考え方やものの見方が見いだせるのではないか、という予想のもとに研究がすすめられている。東アジアと欧米という二つの文化圏で主流の世界観が、私たちのものの見方に影響を及ぼす可能性を心理学実験により実証しようとしているのだ。そして過去十年の各国での継続的な研究から、「こころと文化の切っても切れない関係」を示す有力な証拠が、数多く積み上げられているという。
文化心理学では、東アジア文化圏で特徴的な思考様式を「包括的思考様式」、欧米文化圏で特徴的な思考様式を「分析的思考様式」と定義し、こうした思考様式の違いが私たちの物事のとらえ方に影響を及ぼしていると主張する。
分析的思考様式は、世の中のさまざまな事物はすべて最少の要素にまで分割することができ、その要素間の相互作用や因果関係を理解すれば、物事の本質を理解できるとする考え方だ。科学技術の基礎となっている機械論的な世界観といってもよい。男性原理の世界観だともいえる。
一方、包括的思考様式は、物事の本質を理解するためにはまずその全体を把握する必要があるとする考え方だ。これは東アジアで花開いた老荘的、大乗仏教的な世界観が反映されている。機械論的な世界観に対して生命論的世界観といってもよい。まず全体があって全体のなかで個々の部分も意味をもってくるというとらえ方だと思う。
この東西の世界観の違いは、双方の医学の考え方の違いで説明するとわかりやすい。西洋医学は、どちらかというと体を機械のようにとらえ、その部品をなおすことを主眼とするようなイメージだが、漢方などでは体全体のゆがみやバランスの崩れから各症状をとらえて、全体的視点からの治癒をめざすようだ。
この二つの世界観の違いは、「自己観」の違いとしても現れるようだ。欧米文化圏の人々は、「人とは他の人やまわりの物事とは区別されて独立に存在するもの」という「相互独立的自己観」をもつ傾向がある。一方、東アジア文化圏では、「人とは周囲の人々との役割や立場を介した関わりの中で成り立っているもの」という「相互協調的自己観」が多くの人々に受け入れられている。
そういう自己観の違いから、東アジア文化圏の人々に比べ欧米文化圏の人々は、自分を三人称的に(第三者の目で)見ることに慣れていないだろうという予測ができるが、実験結果はその通りであったという。理想の自分像と現実の自分像の間にどれほどずれがあるかを尋ねる実験では、日本人はそのズレを充分に認識していたのに、アメリカ人はズレを認識する度合いが低かったのである。つまり自分を第三者の目から客観的に見れない傾向が強いということだ。
◆他にも興味深い心理学実験がいくつも紹介されている。文化心理学の画期的なところは、昔から言われていた東西の世界観の違いを、実験心理学的に実証的に確認したことだろう。しかも、その違いが私たちの日常的な物事の認識の仕方や、対人関係の認識の仕方、自己理解の仕方にまで、影響を及ぼしていることを実証的に示したことであろう。
ただ、欧米文化圏、東アジア文化圏という分け方はかなり大雑把で、欧米でも地域差はあるだろうし、東アジアでも中国と韓国、日本とではかなりの違いがあるだろう。その辺の違いは、実証的に確認されているわけではない。農耕・牧畜的で民族間の紛争を繰り返した大陸の人々の世界観と、稲作農業中心で他民族による侵略のほとんどなかった日本人の世界観の違いという視点からの、実証的な差異はほとんど見えてこない。
しかし、こういう手法を用いて研究を重ねるならば、東アジア文化圏の中での地域差も実証的に明らかにされていくのではないか。
2011-01-10
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読み終わった
(2011年01月10日)
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大石久和のこの本は、日本を「自然災害史観」の国ととらえ、それ比較して大陸の歴史を「紛争史観」からとらえている。著者によれば西洋文明は、国土的な条件と歴史の違いから、日本社会のルールや思考法とは大きな隔たりがあるという。西洋文明は、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた。その城壁造りや見張りや守りの分担などで厳しいルール伴う社会を守ってきた。周辺の自然環境は厳しく、他民族との死ぬか生きるかの戦いの中で、常に備えを万全にしておく必要があった。「皆殺し」への恐怖を前提にした思考法が、現在の世界文明の礎になっているというのだ。
これに対して基本的に温暖湿潤な日本列島は、乏しい食糧を集団どうしが常に争い合う必要があまりなかった。その代わりに自然災害による定期的な打撃を受けてきたのだが、これは守りを固めてもどうしようもなく、ただあきらめ、受け入れるほかなかった。
こうした歴史を持つ国はまれだ。たいていの民族は歴史上、紛争によって皆殺しに近いことをされたり、その恐怖に直面したりしている。日本のように「皆殺し」が天災によるものしかない国は、世界中にほとんど見当たらない。
こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。さらに日本人の優しい語り口や控えめな言語表現、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれたのだという。
城壁に囲まれた都市の住民は、勝つため、負けないために必死に研究しなければならない。情報を集め、それは正しい情報か、もれはないか、偽情報は含まれないかなどをつねにチェックしなければならない。あらゆる不測の事態や可能性を想定して作戦をたて、二重にも三重にもチェックしなければ、皆殺しにされてしうかもしれないのだ。
だからこそ、その思考は網羅性、俯瞰性、長期性などの特徴をもつ。合理的な判断を狂わせるような情報は厳しく排除される。合理的に判断する成熟した主体にこそ、最高の価値が置かれるのは、そういう歴史的は背景があったからではないだろうか。一方、日本人はそういう戦いの状況に置かれたことが歴史上あまりなかったため、厳しく合理的な思考訓練ができていない、必要ともされなかった。
他国に攻め込まれる恐怖もほとんどなく、食糧も豊かだった日本では、ぎりぎりの厳密で合理的な思考やその伝達にさほど重きを置かずにすみ、また「そぶり」や「以心伝心」程度のコミュニケーションで困ることはなかった。外敵に包囲され、防御策を綿密に決めて、誤解のない言葉でルール化しなければ全員の命がない、などという状況に身をおいたことがほどんどないのだ。
2011-01-09
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読み終わった
(2011年01月09日)
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著者は現在、世界的な戦略コンサルティングファームのアーサー・D・リトル・ジャパンで、主に、製造業の研究開発戦略や商品開発戦略などのコンサルティングを行っているという。「世界に誇るオタク文化」と「国の基幹産業である製造業」の架け橋となり、両者の力で日本を元気にすることがライフワークとのことだ。本書も、そんなライフワークにつながる趣旨で書かれている。だから世界が絶賛する「メイド・イン・ジャパン」の現状報告というよりも、「メイド・イン・ジャパン」をより魅力的にするために製造業とオタク文化をいかに結び付けるかという、新しい発想の提案が本書のテーマといってよいだろう。
団塊の世代は、愚直に品質や信頼性を作りこむことで日本製品のブランド力を確立した。しかし今や、愚直なモノづくりをそのまま維持することは現実的ではない。近年、日本発のポップカルチャーが世界で注目されるようになったが、しかし、それだけでは国全体の富を生み出すには不十分だ。これまでに築き上げた「モノづくり魂」とクールジャパンという世界級のカルチャーを融合させる豊かな発想が必要で、今はその絶好のチャンスだという。
近代工業を支える根本概念は、合理的な秩序に支えられた人工の世界観であり、理性的な男性原理が作り出した代表格が、工業製品だ。それは元来、西欧近代に端を発するものだ。ところがその工業製品のかなりの面で、西欧世界を追い抜いてしまった日本では、にもかかわらず男性原理とは対極にあるカワイイ文化や、少女が大活躍するマンガ・アニメが大人気だ。ここに日本文化のユニークさがある。
ところが世界は今、西欧的な男性原理が生み出した、ひたすら機能だけを追求する工業製品に飽き足らなくなっているのというのが著者の判断のようだ。そして、自分が持つ機械や道具にオタク的な発想の付加を加える動きが、個人ではかなり行われ、製品のアイディアとしても、世界に先駆けて始まっているのが日本なのだ。そのような消費者の新しい傾向をうまくとらえた商品がこれからは大きく伸びていくのではないかと著者は主張したいようだ。
ただし著者が挙げているのは、あくまでも発想のヒントとなるかもしれない事例や製品であり、すでに大成功を収めたり、画期的だと評価されたものではない。
たとえば、カスタム車界で急激に拡大したジャンルである「痛車」(いたしゃ)。普通の人々が見ると痛々しいほどにオタク系の美少女キャラでデザインされた車だという。オタク系の文化が世界に広がっている流れの中で、従来のカスタムカーと違って、メジャーに近づく、少なくともマイノリティーに終わらない可能性を秘めているかもしれない。
もう一つ例を示すと、おもちゃとしての遊び感覚で工夫された「ツンデレ」テレビ。チャンネルや音量操作に女の子の声で対応するが、ふつうはツンツンしているのに、ある条件下になるとデレデレといちゃつくという声の態度の変化を楽しめる。ツンデレは、オタク用語から一般に浸透しつつある言葉だという。
こんな例だけ見ていると、これがほんとうに「メイド・イン・ジャパン」の未来を開くアイディアになるの(?)という感じだが、あくまでも、こういう発想の中に新しい商品を開発していくためのヒントが隠されているということである。私も、こういう流れの中で商品を開発していこうとする発想は、これからますます重要になっていうような気がする。
2011-01-08
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読み終わった
(2011年01月08日)
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著者によれば、日本のマンガ・アニメの特徴は、集団的英雄像と善悪を相対化する視点だという。現実は、たったひとりの英雄が大衆の無気力や妨害をはねのけて巨悪と対決するおとぎ話ではない。また戦争状態にある集団同士は、一方が完全に正義を体現し、他方は完全に悪を体現するなどということはありえない。そのような相対的な現実を日本のアニメが語り始めた。
日本のアニメ・マンガは、人類全体にとっての優れた無形の財産を形成しつつある。それらが世界に発するメッセージは、「善と悪」、「敵と味方」といった二元論に振りまわされない物語展開の中に隠されているという。その素晴らしい実例が、『EMOTION the Best GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [DVD]』だという。そのラストシーンで草薙素子は、悪役人形つかいの提案を受け入れて、一体化していく。
日本のマンガには、たとえば『らんま1/2 (少年サンデーコミックス)』など、男性と女性の役割がコロコロと入れ替わることをネタにした名作が多い。この役割転換の発想は、戦争での敵・味方を相対化する視点につながるという。
この自由自在の視点の転換が、知識人主導型の社会(アメリカなど)では危険思想に感じられ、脅威になっているのではないかという。そういえば、アメリカン・ヒーローが一方的に正義を振りかざすのは、アメリカの国際社会での態度に似ているかもしれない。同じことは最近の中国にも当てはまるだろう。
2010-12-23 | comments(0) | ◎最新の書評 | 読み終わった (2010年12月23日)
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