やし酒飲み (岩波文庫)

  • 岩波書店 (2012年10月17日発売)
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ナイジェリアのチュツオーラによる神話的物語。

主人公の「わたし」は、大金持ちの父のもとに生まれた。弟たちはみな働き者だったのに、「わたし」は、小さい頃から「やし酒」を飲むより能のない、とんでもない総領息子だった。
普通なら「ばかもーん!」と怒られそうなところだが、なんと父は「わたし」のためにやし酒造りの名人を雇ってくれ、あまつさえ56万本のやしの木がはえた広いやし園までくれた。
やし酒造りは毎朝150タルのやし酒を採取し、夕方にさらに75タル造ってくれる。これでめでたく「わたし」は毎日毎日、大勢の友だちとともに、文字通り浴びるほどやし酒を呑んで暮らせることになったのだ。
しかし、幸せな日々は永遠には続かない。15年目、父が死ぬ。そしてその6ヶ月後、今度はやし酒造りが死んでしまった。
翌日からはやし酒がない。しあわせな気分は去ってしまった。あんなにいた友だちも去ってしまった。必死に他のやし酒造りを探すけれど、「わたし」の要求を満たすだけの量を造れる名人は見つからない。
「死んだ人はすぐには天国に行かず、この世のどこかにいるものだ」という古老の話を思い出した「私」は、死んだやし酒造りを見つけようと旅に出る。

・・・冒頭から突っ込みどころ満載なのだが、これはこの物語のほんの序の口である。
とにもかくにも、やし酒なしではいられない「わたし」は、やし酒造りの居場所を尋ね歩く。情報を得る引き替えに、「死神」と渡り合ったり、ぱっと見は「完全な紳士」だが実は「頭ガイ骨」だけの男から娘を救い出したり、「死者の町」を目指したりする。

いろいろあるけど、「わたし」は何だかんだと切り抜ける。何たって、この「わたし」、「この世のことはなんでもできる『やおよろず』の神の<父>」と呼ばれているのだ。
・・・ちょっと待て、なんでもできるなら、やし酒造りをすぐ見つけるとか、自分でやし酒をたんまり入手するとかできんのか(・・;)!?

キツネにつままれたような気分になりつつも、何だかやし酒飲みの冒険の顛末が気になって先へ先へと読まされてしまう。
「わたし」が出会う「生物」たちはときに奇怪で途方もなく、迷い込む森は暗く深く、何が出てくるか得体が知れない。
予想のつかない冒険が「だ・である」と「です・ます」の混じる文体で綴られる。著者は短い期間で習得した英語でこの物語を書いている。おそらくはどこかたどたどしさの残る文章を、訳者がこのように置き換えたというところだろう。
母語のヨルバ語の伝承が混じり、一種独特の、おどろおどろしいが魅力的な世界を創り出している。

本編に加え、チュツオーラの自身が自らの人生を語った小文(「私の人生と活動」)、それに、訳者(土屋哲「チュツオーラとアフリカ神話の世界」)とドイツ語でも創作を行う日本人小説家(多和田葉子「異質な言語の面白さ」)による解説がつく。

不条理とか、洋の東西の神話との比較など、なるほど文学論的にもいろいろ議論がありそうな作品だが、一般読者としては、まずは物語世界に放り込まれる感覚を楽しみたいところだ。

それでやし酒造りは見つかるのかって・・・?
うーん、見つかることは見つかるんだけど、それからまたいろいろあってねぇ(--;)。
驚きの結末はぜひ、ご自身で。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: フィクション
感想投稿日 : 2018年1月15日
読了日 : 2018年1月15日
本棚登録日 : 2018年1月15日

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