希望の資本論 ― 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか

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  • 朝日新聞出版 (2015年3月30日発売)
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話の切り口はトマ・ピケティによる21世紀の資本論なのだが、そこからマルクスの資本論まで掘り下げ、労農派、講座派の説明に移り、資本論の切り口で、格差問題に議論を転ずる。

読めば読むほど、資本論に対する期待が高まり、修得したいという欲求が擽られる。本著は池田信夫同様、格差形態の異質性からピケティの理論は日本社会には当てはまらないとの立場だ。加えて、21世紀の資本論が、植民地に起因する問題、女性劣位に対する考察の不足についても佐藤優が指摘している。

格差を論じるには、労働力の商品化と再生産、余剰利益の分配について理解しなければならず、そこから、再生産に必要な次世代を生み出す女性の役割(しかし、再生産には相当の時間を投じなければならない)、帝国主義の遺産である植民地搾取という、偏りの前提条件を揃える必要があると考えたのだろう。これらを民主主義的な解決策に委ねたとしても、教育格差を孕む民主主義の現形態で、それが達成できるか?

資本主義の限界については、様々な書物で論じられる。商品化された労働力の売り先がなくなれば、対価が支払われない。生産性があがれば、資源と運営システムが労働力の代替機能となり、その再生産によりカロリーは賄われるが、交換媒体は一部の特殊技能に偏在する。従い、カロリーの得られぬ階層が生まれる。その階層が多数派になれば発言権を持ち、そうならぬように、セーフティネットが敷かれるが、そもそも、発言権を持つような次世代の再生産が叶わず、淘汰され、人口減少に繋がる。商品化された労働力は、代替機能とのコスト比較により採択され、超安価な単純労働作業者として残る。帝国主義が国単位の収奪主義ならば、資本主義とは家族単位の収奪主義に他ならない。そして資本主義の勝者は、この筋書きを念頭に、民主主義とセットで勝者階級の創出を目論む。つまりは、正当化した手続きに則り弱者を騙し討ちするような思想なのだ。共産主義とは、この資本主義の終わりに生まれる暴力による階級闘争を先取りした思想に過ぎない。しかし、不要とされた労働力は、機械や軍事に最早勝てない。近代では、革命は有り得ず、ただテロあるのみである。然るに、資本主義の勝者争いとは、出世競争の事だが、佐藤優は、これに警鐘を鳴らすのだ。

善意に任せた再分配などは有り得ず、競争による淘汰が貧民階級を絶滅させ、ブルジョアジーの中で更に貧民階級を生み、これが繰り返す事により、人類の進化が進む。我々は、この大局の中で諦め、あるいは勝ち続け、進化する側にならなければならないのだ。佐藤優の言う、出世競争から発想を転じよというアドバイスは、慰め程度に過ぎないのではないか。

様々な著作で、佐藤優はこの勝ち方を教えてくれている。まさに、彼の言う、教養本ではなく、修養本なのだ。彼の発言に脱線が多いという意見もあるかもしれない。私の解釈も乱暴だろう。しかし、佐藤優は、一つの基軸に沿った連関により論を展開しており、少しも脱線していないと思うのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2015年10月10日
読了日 : 2015年10月10日
本棚登録日 : 2015年10月10日

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