(2018/7/11再読)
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長靴をはいて、傘をひろげた表紙のイラストに、雨の話かな?と思いつつ読みはじめると、「かさ」は、比喩なのだった。
カバーの袖には、こう刷ってある。
「アニー、おまえ、
前はおもしろいやつだったのにさ
…今じゃ、気をつけてばっかりだな」
安全であることを気をつけて気をつけて気をつけているアニーは10歳。前なら、メープル坂を自転車で下るのも、風をきって坂を下った真ん中あたりでブレーキをかけはじめ、それでリピーさんのお店の駐輪場にすべりこんでいた。今はそんなことはしない。坂の上で自転車を降りて、押さえながら歩いて坂を下る。肘当て、膝当て、ヘルメット、足首にはテーピングと安全装備も完璧だ。
ママには「心配しすぎだ」と言われるけれど、気をつけてないといけないことはいくらでもある。みんなが危ない!と思うような大きな危険はもちろん、ふつうの人が気にもとめないような危険にも注意を怠ってはいけない。
お隣のハーパーさんの家で、アニーは自分に必要な本を見つけた。『病気予防のすべてがわかる』!病気にならないためにどうすればいいか、病気になったときにどうすればいいかが書いてある。完璧だ。
▼…心配しなきゃいけないことがいっぱいある。…いつも安全でいられて悪いことが起こらないようにするには、どんな危険があるのか、それをどうやってふせぐのか、全部知っておかないといけない。準備しておかないと。そうするしかないんだ。(p.35)
アニーのお兄ちゃんは5ヶ月前に亡くなった。お兄ちゃんが胸が痛いというのを、お医者さんはアイスホッケーのパックが当たったからですよと説明した。でも、お兄ちゃんの胸が痛かったのはものすごく珍しい心臓の病気だった。お兄ちゃんは2日後に死んでしまった。
アニーが心配ばかりして、安全を手にいれようとして、『病気予防のすべてがわかる』を読みふけったりするようになったのは、それから。ママはアニーのことを心配するけれど、ママとパパだって、お兄ちゃんが死んでからというもの、どうかしてる。アニーはこう言わずにいられない。「ふたりとも、ちゃんと、わたしのママとパパでいてよ。お兄ちゃんが死んじゃっても、ふたりとも、まだわたしのママとパパなんだよ」(p.157)
学校の先生や近所の人や友だちに〈お兄ちゃんが死んじゃってかわいそう〉の目つきで見られるのもいやだ。たいていの人が、悲しそうな、心配そうな、ちょっぴりかわいそうっていうのが混じっている目つきでアニーを見る。親友のレベッカとは仲違いしてしまうし、どこにも自分の気持ちのもっていきようがないアニー。
レベッカと「幽霊屋敷」と呼んでいたお向かいの家に越してきたフィンチさんと知りあって、そこで少しずつ自分の気持ちを話す。フィンチさんがいれてくれた「腕のすり傷茶」を飲みながら、お互いのことを少しずつ話した。お兄ちゃんが死んじゃったことも、お兄ちゃんとの楽しかった思い出も。フィンチさんが読んでみるといいわよとアニーに貸してくれたのは『シャーロットのおくりもの』。
フィンチさんとまたお茶を飲んだとき、2人でトランプしながら、アニーはお兄ちゃんとよくいっしょにしてた「ブリトーゲーム」のことを語る。フィンチさんはげらげら笑いころげて、アニーの話を聞き、私もここはおかしくて大笑いした。
フィンチさんは、こう言った。「アニー、そろそろ、かさを閉じてもいいんじゃないかしら」(p.188)。家の中で、フィンチさんが何を言い出したのかアニーには分からなかった。
▼「雨が降ると、かさをさすでしょう? ぬれないようにね」
「でもね、たとえば、長いこと外を歩いていて、雨にぬれないように、ずっとかさをかかげているとするでしょう? そのとき、もし、ぬれないように心配ばかりしたり、まったくべつのことを考えていたりしたら、雨がやんでも、ちっとも気がつかないかもしれないのよ。つまりね、もう雨が降ってもいないのに、かさをさしたままでいるわけなの。ぬれないかもしれないけれど、お日さまの光にもあたれなくなってしまうのよ」(p.189)
フィンチさんの言ってる意味がよくわからないと答えたアニーに、フィンチさんは、いつも心配ばかりしていたら、ジャレッドのことを考えるひまがないでしょう?と続けた。「心配しているほうが、悲しむよりも楽なの。少なくとも、わたしはそう思うわ。だから、自分を守るために心配するんじゃないかしら」(p.190)
もうすぐやってくるお兄ちゃんの誕生日に何をしたらいいかと相談したら、フィンチさんは、ジャレッドのことをただ思いだしてあげるのがいいんじゃないと考えてくれる。思いだすにもいろんなやり方があるのよ、とフィンチさんが教えてくれた話を参考に、アニーは、お兄ちゃんの親友だったトミーと、お兄ちゃんの誕生日にポスターをつくった。ジャレッドを思いだす方法を二人で書いたそのポスターには、ほかの人が書き込めるようにいっぱい線が引いてあった。その日、いろんな人がお兄ちゃんについていいことを思いだしてくれて、ポスターにたくさん書き足してくれた。
フィンチさんとの時間をつうじて、アニーは、ママやパパと、そして親友のレベッカとも、もういちど向きあいはじめる。「雨にぬれないようにかさをさすのは、ひとりでだってできるかもしれない。でも、かさを閉じるには、おおぜいの人たちの助けがいるんだ」(p.253)とアニーは思う。
大切な人を亡くしたときに開いたアニーのかさ。フィンチさんも、夫のネイサンを亡くして、かさを開いていた。自分のかさのことが分かったアニーは、フィンチさんにとっては夫が撮った魚の写真を箱に封じ込めていることがかさなのだと気づき、写真を一枚かざりましょうと提案する。そこから、ママが開いているかさのことも、パパが開いているかさのことも、アニーは気づいていく。
もういなくなった人の誕生日の祝い方、ああこんな思いだしかたがあるんやと、こころがじんわりあったかくなった。
(2012/7/3了)
- 感想投稿日 : 2012年8月2日
- 読了日 : 2012年7月3日
- 本棚登録日 : 2018年7月11日
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