史実を歩く (文春新書 3)

著者 :
  • 文藝春秋 (1998年10月20日発売)
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感想 : 14

著者の『関東大震災』を読んで、再読。(6/6了)
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妹1号がいつも使ってる図書館は、私も小学生の頃に通っていたところだ(といっても、私がかつて通った建物はなくなって、今は新しい駅ビル内にある)。いまは住民ではないけど、隣の市どうし相互利用のカードで「書架にある本」は借りられる(予約はできない)。こないだ妹の最寄り駅まで出たときに、いっしょに新しい図書館へも入ってみた。

あとの移動のお供になにか読むものを…と、文庫の棚と新書の棚をじーーっと見てまわって、吉村昭の『史実を歩く』と、『私の好きな悪い癖』の2冊を借りてみた。

この人の本はこれまで読んだことがないと思うが、東日本大震災後に、吉村の『三陸海岸大津波』や『関東大震災』がずいぶん読まれたらしいというので、興味をもっていた。

戦史小説や歴史小説を多く書いている著者は、「綿密な取材」と「細部へのこだわり」で知られる人だという。この本は、どうやって小説の素材と出会い、書いていくためにどのように調査をして"真実"に迫るかを、失敗談も含め書いたもの。いわば作品の舞台裏である。

この本の「「桜田門外ノ変」余話」のところで、著者の驚きとして「事件から明治維新までわずかに八年」(p.76)であることが書かれている。史実調べを始めるまで「漠然と二十年近くはあるような気がしていた」(p.76)のは、桜田門外の変から明治維新までの間に歴史上重要な出来事が続発しているからだ、という。

著者が、自分の印象の変化を語ったこの箇所とともに、私がへえぇと思ったのは、「当時、水戸藩からおこった尊王攘夷論が全国に浸透した」(p.75)というが、そもそもなぜ水戸藩でそのような攘夷論がわきおこったかというと「水戸藩領の海岸線」(p.167)が根底にあるというところだった。

▼当時、世界的に捕鯨業が最高潮に達していて、鯨の群れる日本近海には各国の捕鯨船が集り、ことにアメリカの捕鯨船がハワイを基地にして殺到していた。
 水戸藩領(茨城県)に面した海の沖には、アメリカの捕鯨船が二百艘も操業していると言われ、船員の上陸騒ぎも起きていた。沖に出た藩領の漁師が捕鯨船と接触して、それに乗って仕事を手伝ったり、物品を謝礼として受け取ったりもしていた。
 それを知った会沢ら[*水戸藩の学者・会沢正志斎、藤田東湖]は深く憂慮し、さらに藩領の海岸線の状態に激しい危機感をいだいた。海岸線はゆるやかな線をえがいていて平坦で、外国の兵力が上陸するのに適している。
 しかも藩領から江戸は近く、その海岸線に上陸した外国の軍勢が江戸に進軍して占領すれば、容易に日本を支配下におさめることができる。
 そのような事態になることを危惧した会沢らは、尊王攘夷論を唱えて有志たちに鋭く警告し、それは水戸の者だけではなく諸藩の人々に大きな刺戟をあたえ、またたく間に全国に浸透していったのだ。(p.167)

尊王攘夷論という思想の成り立ちを先入見にとらわれることなく考え直してみて、著者は、会沢らが「海を強く意識していた」ことに気づく。それまで、尊王攘夷論という思想を頭だけで理解しているにすぎないままで書いた原稿は何の意味もないと、著者は252枚の原稿用紙を燃やした。「海岸線」に発するこの社会思想を具体的に理解し、確実に手につかんだうえで、著者はあらためて筆を起こすのである。

思い込みにふりまわされず、資料の誤りをも見ぬいて、そうしてたどりついた真実を書くというのは、こういうことなんやなーと思った。歴史にどう向き合うか、という点でも、著者の姿勢は、時代がかわっても揺らぐことはないだろうと思う。

過去に四度脱獄した経験のあるSについて小説を書いた際のエピソードのなかで、かつてSを担当したことのある刑務官に話を伺いたいと、その上司をつうじて依頼した際、「あなたは、来月定年を迎えて退官しますが…」「勤務中はお話しすることもできないでしょうが、退官後、この方にSのことを話すようにして下さい」(p.36)と言う上司に対し、その刑務官の方が言われた言葉も、ぐっと心に残った。

▼「お言葉を返すようですが、私は刑務官を拝命して以来、所内のことについては家内にも一切話をしておりません。退官後もそれを通すつもりでおります」(p.36)

こういう取材をして書かれた作品のほうもぜひ読んでみたいと思った。

(5/24了)

*私が借りて読んだのは、もう16年前の文春新書だが、6年前に文春文庫になったらしい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2014年6月2日
読了日 : 2014年5月24日
本棚登録日 : 2014年6月6日

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