1995年1月・神戸――「阪神大震災」下の精神科医たち

制作 : 中井久夫 
  • みすず書房 (1995年3月24日発売)
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感想 : 13

16年前の震災を思いだしながら、むかし読んだ本を再読。東北や関東の震災被害と東電の原子力発電所の事故はもちろん気にかかるが、3/12に起こった長野の地震(かなり大きく、震度6弱の余震もあった)のことが新聞やニュースではほとんどまったく分からず、どうなっているのだろうとずっと思っていた。震度6は、16年前に神戸市や明石市、洲本市で観測された震度と同じだ。

私は東北にも土地勘がないけれど、広い長野もほとんど知らず(長野市内へ仕事でいちど、Weフォーラムで更埴へいちど、叔母に連れられて軽井沢へいちど、それぞれ行ったことはある)、それでも長野には数人の知人が住んでいたりして、気になっていた。

こないだ長野出身のiさんにきいたら、地震のあったところ(栄村)は新潟に近いところとのこと(栄村は震度6強、新潟や群馬でも震度5弱を観測している)。被災情報のブログも初めて知った。

「人間は悲しいことに出会ったとき、悲しみをともに分かってくれる人がいないと本当に悲しむことができないものである」(189ページに引用されていた、土居健郎のことば)

16年前の震災時に働いた精神科医たちの記録。編者となった中井久夫は、神戸大学医学部附属病院精神科の教授だった。こんな人が科のトップにいてよかったと思う。

その中井が震災時の経験をふりかえって、自分はボランティアを非常に誤解していた、ボランティアとは「任務が決まっていて、現場に行ったらその任務に奔走するものだと思っていた」、そういうボランティアもあるかもしれないが、災害救援は問題が時々刻々と変化するので「状況がすべてである」、と書いている。

「状況がすべてである」ことについて、巻頭の「災害がほんとうに襲った時」(これはラファエルの『災害の襲うとき』をもじったタイトル)で、中井はこう書く。

▼ 「何ができるかを考えてそれをなせ」は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる。たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい。後から咎められる恐れを抱かせるのは、士気の萎縮を招く効果しかない。現実と相渉ることはすべて錯誤の連続である。治療がまさにそうではないか。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで訪ねてくる偉い方々には答えようがなかった。今必要とされているものは、その人が到達するまでに解決されているかもしれない。そもそも問題が見えてくれば半分解決されたようなものである。(p.23)

病院の医師・看護師・スタッフも多くが被災者だった。九州や関東から救援に入った人たちも含め、多くの人の記録は、自身の落ち込みや涙、高揚感や興奮も率直に伝えていて、そこには精神科医や病院スタッフ独特の観点もあるけれど、16年前に私もこんな風に感じたなあと思うところも多かった。

「生きることは本当に大きな贈り物なので、生きられたひとつひとつの生からは、何千という人々が利益を得る」(162ページに引用されていた、管啓次郎のことば)

※現在、版元のみすず書房で品切れになっているこの『1995年1月・神戸』と、同じく中井ほかによる『昨日のごとく』は、それぞれから文章を編み直して、『災害がほんとうに襲った時―阪神淡路大震災50日間の記録』、『復興の道なかばで―阪神淡路大震災一年の記録』として近日刊行されるそうです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2011年4月4日
読了日 : 2011年4月3日
本棚登録日 : 2011年4月3日

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