1998年刊行。著者は中央大学教授、東京大学名誉教授。本書の記述は、著者の自叙伝、あるべき高等教育(その実例としての鳥取県「公園都市」構想)、経験的大学論、デューイを軸とするリベラル教育思想、リベラル批判に対する反批判等がない交ぜで、やや焦点がぼやけている感はある。また、リベラル的発想自体は否定しないが、個人の特性に即した教育と教育の平等とは、内実如何によっては対立・競合関係を生む場合があり、また理念として平等をあげつつも内実が伴わないこともありうる。個人の教育要請に合致させつつ平等を図る制度構築。
これが重要なのだが、本書では一般論はともかく、制度の具体面になると平等を否定的に、大学の大衆化を否定的に、ともとれる論を展開し、少々戸惑う。他方、著者がライフワークとする環境問題と経済学の総合化、環境経済学の黎明、新古典派経済学者との論争、大学紛争時の東京大学経済学部の裏面、米国大学から東大復帰の際に明朗化した東大の年功序列的悪癖等は、かなり興味深い。また「自動車の社会的費用」発刊後に受けた誹謗中傷は著者の立脚点と日本社会の暗部を知る上でも意義深い暴露であろう。
ただ、教育をテーマとして掲げる場合不可避的な自由、個人の人格的価値の尊重と平等との相克は、実に慎重な検討を要し、安易な論を展開すれば忽ち説得力が欠けてしまう。平等一辺倒でも、自由一辺倒でもないバランスが求められているはずだが、残念ながらこの点の慎重さは、本書で伺うことは難しい。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
エッセイ
- 感想投稿日 : 2017年1月21日
- 読了日 : 2017年1月21日
- 本棚登録日 : 2017年1月21日
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