様々な文学作品において描写される家屋にまつわる狂気を例にとり、実際の疾病例と対比させながら「事実は小説より奇なる」ことが語られる。
その中で語られる「ゴミ屋敷」については、『自分の周囲に馴染みのあるものを集めることによって心の安定をはかる』とされている。そして老女が中心である、ということも。
でもこれは彼には当てはまらないように思う。そこにあったのは「ただの捨てられないゴミ」であって、収集されたものではなかったのだから。
彼はあらゆる社会的な循環というものを否定したのだろう。ゴミは回収され、処分され、何らかの形で再生される。同様に貨幣も「巡る」ことによってその存在価値を持つ。
でも、ゴミも貨幣も彼にとっては「巡る」必要のないものだった。巡るということは社会の営みの一部になることであって、彼はその一部であることを拒否していたのだから。
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- 感想投稿日 : 2015年10月31日
- 読了日 : 2015年9月26日
- 本棚登録日 : 2015年9月17日
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