反・自由貿易論 (新潮新書)

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  • 新潮社 (2013年6月15日発売)
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グローバリゼーションが国際社会における常識のひとつになっている中、本書はそこに潜む危険性を改めて問い直す一冊である。

第一章の「自由貿易は好ましい」は本当か———では、
自由貿易推進者がその根拠にしている、ヘクシャー=オリーンの定理を例に、その論拠を徹底的に批判しています。

批判の対象となっているのが、ヘクシャー=オリーンの定理における前提条件。

・複数国それぞれが「完全雇用されている状態であること」
・生産要素(資本・労働)は国内の産業間を自由に移動でき、そのための調整費用もかからない。
・生産要素は国と国との国際的な移動もしない。

などなど。
つまり、今日のグローバル経済には全くあてはまらない論拠である。


そもそも経済的発展のために、「規制緩和をして自由貿易を推進しましょう」というのが間違いである。

自由貿易の守護神のようなイメージのアメリカですら、1945年までは保護主義的な国であった。
建国以来、高い関税率(40〜50%)によって自国の産業を保護し、経済発展を遂げたという。
ちなみにヨーロッパでは、1877年頃から自由貿易が盛んになったが、自由経済は農業経済に大きな打撃をあたえ、大不況につながったという。

以上の様な歴史をふまえて、西欧列強は自国には高い関税をかけるが、非西欧の国々には自由貿易を強いて、実質的支配を強めることがしばしば行われてきた。
「自由貿易帝国主義」と言われる所以である。

歴史において、「自由貿易」というのも一種のイデオロギーであり、西欧列強はそれを巧妙に利用してあたかも正義の思想といった風に喧伝してきたということだ。

では、戦後はどうか。
日本は高い技術力と工業生産力、さらに1984年には「関税と貿易に関する一般協定」である通称GATTの後押しにより輸出力を高めたと一般的には理解されている。
当時は冷戦時代ということもあり、アメリカは西側諸国をドル経済圏につなぎとめる必要があったため、自国の経済を犠牲にしても、日本をはじめとした西側諸国の経済発展を安全保障上の理由から優先させる国家戦略に基づくものであった。
この例をとっても、国際政治におけるひとつの選択肢であって、自由貿易が二国間の経済発展を促進させるものではないということがわかる。

冷戦終結後の1990年代から、アメリカの対日貿易赤字が外交上の問題のひとつになり、ジャパンバッシングがおこなわれたのも、当然の帰結だったのかもしれない。

現在は、ハイパーグローバリゼーションの時代となり、自由な貿易を促進させるために、国家間の通商条約が国内法に優先される時代に突入しつつあるという。

ただし、ここには大きな不平等が存在する。
アメリカの場合WTOやNAFTA、FTAといった条約にはアメリカの国内法が優先すると規定してあるのに対し、日本は憲法九十八条第二項により、国内法よりも国際的な条約が優先されると理解されている。

現在問題のTPPなどでは、日米間で前提条件が全くちがうことになる。
今後はTPPやWTOの協定に反する国内法の修正が迫られるなどの問題が起こりかねない状況にあるというのだから恐ろしいことだ。

特に国際貿易協定にあるISD条項では、一投資家であっても、外国の政府の政策によって不利益を被った場合訴えることができるというもの。

訴えが起こされた場合、世界銀行傘下の「投資紛争国際センター」という第三者機関で対象となる政府が審理される。

ハイパーグローバリゼーションの時代、自国の産業や権利、国内法よって保たれている自国の尊厳じたいが危機に瀕していることが理解できる内容となっている。


20世紀初頭のイギリスの経済学者ジョージロビンソンは、「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためだ」と皮肉を込めて発言したそうだが、今まさに我々の胸に深く響いてくるひと言であると感じた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 外交
感想投稿日 : 2013年8月1日
読了日 : 2013年8月1日
本棚登録日 : 2013年8月1日

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