あらためて教養とは (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2009年3月28日発売)
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備考録的なレビュー


もうひとつ付け加えれば、精神の「潔潔感」を養ってくれるもの。

「自分を建築する」のが「教養」だと考えればよい。

まさに欲望の限りない追求の「邪魔」をしてくれるのが教養だと考えられるからです。

モラルといっても、本当は、自分の中に確立している規矩の中で、
自分の力だけでやればいいんだけれども、人間というのは弱い存在ですから、ついごみを捨てることにもなる。
それを社会の制度が支える必要はありましょう。
人間が自ら律することができるのが理想ではあるけれど、
人間の教養ある行動を支えるために、社会全体もそういう仕組みを一つずつ作っていくことによって、できるだけそういう行動を伸ばし、
そうでない行動への抑制力を社会全体の中にいろいろな形で作り上げていくことも必要なんだと思いますね。


他人の目を自分の中に持っている人が教養ある人。

選択しをいっぱい広げて選んでいく。

「自分を造り上げる」と言ってもセメントでがちがちに固めてしまうようなことではなく、「開かれた」状態で、死ぬまで続く動的な過程だと考えるべきだ。

とりあえずは、何かを選択しながら、しかし、それに捉われずに自由に生きていく。そのためには、やはり間口をうんと広げて、いろんなことを知って、
学んで、良さと悪さを識別できるような目を養うために、
何でもぶつかっていけばいいと思います。

最初からこれと決めないで、かなり幅広い世界をできるだけ体験したり、知ったり、読んだり、接したりすることによって、いまの時代の教養ということと、私の生き方を支えるために必要だと思っている教養とが、そういう形で一致するんじゃないかと思っているんです。

学問の「進歩」とは、しばしば既存の規矩。

教養の原点は、モラルにある。
1、何とか、教養ある人間といえるように努力してきた。
 それがどこまで実現しているか、自分では何ともいえない。
2、自らを立てることに必要なのが教養
⇒自らを立てる=揺るがない自分を造り上げる。
⇒自分に対して則を課し、その則の下で行動できるだけの力をつける

問題点:どのようにしてどのディーセンシ―を構築するか。

食べること、これは一つの欲望。
性欲でもそうだし、睡眠欲でもそうですが、要するに、人間が自然に持っている欲望について、それを放恣に他人の前に解放するということに対する規制、慎みがある。
欲望を全面的に肯定し、解放してしまわないためには、口をつぐんでいること。これこそ、慎み深さの基本であり、ディーセンシーの第一義ではないでしょうか。


自分の中にきちんとした規矩(きく)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか。

教養教育は家庭内でなされるのが本質。

三つの必須科目
⇒文法、論理、修辞学(レトリック)

“言葉”こそが知の世界への扉
⇒こそとは?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2011年4月18日
読了日 : 2011年4月18日
本棚登録日 : 2011年3月18日

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