読書状況 読み終わった [2022年7月7日]

でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むことなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。
(ドライブ・マイ・カー)

「総司、お前はいいやつだねえ」
「いやだねえ」
沖田は、首をすくめた。きょうの歳三は、どうも変である。
「おれも、来世もし、うまれかわるとすれば、こんなあくのつよい性分でなく、お前のような人間になって出てきたいよ」
「さあ、どっちが幸福か。……」
沖田は歳三から眼をそらし、
「わかりませんよ。もってうまれた自分の性分で精一ぱいに生きるほか、人間、仕方がないのではないでしょうか」
と、いった。沖田にしてはめずらしいことをいう。あるいは、自分の生命をあきらめはじめているのではないか。
心境がそうさせるのか、声が澄んでいた。
歳三は、あわてて話題をかえた。なぜか、涙がにじみそうになったからである。
「おれは兵書を読んだよ」

ふるさとへむかつて急ぐ五月雲

「おや、いまは十一月ですよ」
「なに、五月雲のほうが、陽気で華やかでいいだろう。秋や冬の季題では、さびしくて仕様がねえ」

「どうしたの」と少女だったものが聞いた。
「変わってしまったから」と答えると、少女だったものは、笑った。
「だって、そういうふうにできているんだからしょうがないわよ」そう言って、笑った。笑い声を聞いているうちに、ますます悲しくなった。
「まだ泣いてるの」
「そう」
「でも生まれたら最後はこうなると決まっているんだから」
「知らなかったもの」
「あなただって同じよ」
(惜夜記/アポトーシス)

小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。

「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。或は生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚れになるようですが、私は今先生を人間として出来るだけ幸福にしているんだと信じています。どんな人があっても私程先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」

ハードなウェルダンに焼き上げた肉を口に入れたとき、僕と祖父は思わず顔を見合わせた。それこそが祖母の味だったのだ。
埋葬のときですら、悲しみの色を見せなかった祖父の瞳が潤んだ。
「ばあさんの答えは、イエスでもノーでもなかった。軍人が贅沢をしちゃいけないわ、これと同じくらいおいしいステーキを、私が毎晩焼くから、と」
帰りがけに祖父は、僕をオイスター・バーに誘った。順序がちがうよ、と言ったのだが、祖父は聞き入れなかった。
後にも先にも、祖父が進んでシーフードを食べたのは、その一度きりだったと思う。

(まだそんたなこと言うておるのか。これはな、貫一。身も心も燃やし尽くし、捧げ尽くした者の末期の有様じゃ。しかと目ば開けて、座敷を埋むる血ば見よ。お前は、おのれの体に流るる血を子らに分かち、その意味をば身をもって十全に教え諭した。座敷にはっ散らがした血は、子らに与えた残りもんだ。よくぞここまで、おのれをふり絞った。お前の体には、最早一滴の血も残ってはおらぬ。ええか、貫一。お前は父母の与えた身体髪膚をば、いたずらに毀傷したわけではねぞ。一筋の髪、一片の肉、一滴の血すら無駄にはせず、すべてを使い果たしたのじゃ。この始末ば見た者は、過てる武士道に目覚むるじゃろう。武士道は死ぬることではなぐ、生きることじゃと知るじゃろう。わかるか、貫一。それこそがまことの武士道ぞ。南部の士魂ぞ)

思えば橋場の陣に突然と現れた十六歳の少年は、武士の時代が終わろうとするその最後の一瞬に、ただひとり奇跡のごとく生き残っていたまことの侍だったのではありますまいか。
参陣を許された嘉一郎は、その後の戦を常に先駆け、まさに獅子奮迅の働きぶりであったと、父は申しておりました。
そしてまた、こうも言っていた。
人の世の耐え難きをよく耐えて、すわ剣を執ったそのときに、かくも果敢に戦う者こそ南部武士の誉れじゃと。
貧と賤と富と貴とが、けっして人間の値打ちを決めはしない。人間たるもの、なかんずく武士たる者、男たる者の価値はひとえに、その者の内なる勇気と怯懦とにかかっているのだ、とね。

「気をつけろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」
赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事をいった覚はない。今日ただ今に至るまでこれでいいと堅く信じている。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。

「今回のことで、ぼくにはよくわかったことがある。名前ってぼくたちがやってるみたいに誰のものかあらわすだけじゃないんだ。何度も心のなかで呼んでみたり、歌うように繰り返したり、誰にも見られないように書いたりする。好きな人の名前って、それだけでしあわせの呪文なんだね。ぼくは朝世の名前が好きだよ。うちにあるツナ缶やスパゲッティやプーアル茶のうえに書いたAだって、すごく気にいってる。部屋中全部Aと書いてあってもいいくらいだ」
朝世は涙をふいて、いたずらっぽく笑った。
「じゃあ、あの新しいテレビにもAって書いていいの」
俊樹も笑ってうなずいた。
「いいよ。まだ十ヵ月はローンが残ってる。書いてくれたらありがたい」
(ふたりの名前/石田衣良)

「先がなくてもいいよ。一分でも一秒でも、いっしょにいられるだけいっしょにいよう。しっかりと暮らそう。もしそれが積み重なって一日でも二日でも多くいっしょにいられれば、それでいい。」

みっともないことなんだな。他人と共にやってゆこうと努力することって。

「五時にそちらに行く」とすみれは言った。そして思い出したようにつけ加えた。「どうもありがとう」
「何について?」
「夜明け前に、わたしの質問に親切に答えてくれたことについて」

「もうすぐ春も終わりだねえ」
と、麻子は言った。リビングの明かりに照らされて、桜の木はみずみずしい緑の葉を、夜に向かって繁らせている。
「またすぐ次の春が来るさ」
と俺は言った。
そう、何度でも。麻子が生きて幸せでいるかぎり、何度でもあたたかい春はめぐってくるんだよ。
(春太の毎日)

「柔らかいしわなしの黒豆は、長時間かけてゆっくりお砂糖をしみこませてゆっくり冷まして段階ふんで作るけど、しわしわの黒豆は砂糖なしでゆでたあとどばっといっぺんに砂糖を入れてばりばりにしわを入れるのである。どば。ばりばり。アン子そのものだな。修三」
(修三ちゃんの黒豆)

人と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

そうだな、俺もだ。西岡は声には出さず、同意した。
有限の時間しか持たない人間が、広く深い言葉の海に力を合わせて漕ぎだしていく。こわいけれど、楽しい。やめたくないと思う。真理に迫るために、いつまでだってこの舟に乗りつづけていたい。

ツイートする