食生活が限りなく豪華になった現在よりも、喰うに事欠いて時代の方が、人々はより精神的であったような気がしてならない。
大学とか文化施設、図書館、ホール、美術館とか、そんなたぐいのものは一番人が集まる雑踏の知にあるべきなのです。
生きた現実は必ず古くなる。しかしうんと古くなればなったで、また別の魅力も出てくるのではないか。古典とはそういうものではあるまいか。
人が自分の行動を自ら正確に説明することは難しい。そもそもなぜ自分がそうしたかさえ、はっきりつかめないものなのだ。自分で自分をごまかす心の動きもある。意識せずにそう思い込む感情の作用もあるだろう。しかも一の行動の動機は必ずしもひとつではない。また同期があってもチャンスがなければ何も怒らない場合だってある。
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カテゴリ:
五木寛之
- 感想投稿日 : 2010年5月11日
- 読了日 : 2010年5月11日
- 本棚登録日 : 2010年5月11日
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