旧版を読んだ時も思ったが、現代史というより「市民運動史」に近い(朴正煕射殺に1.5頁(しかもその項のタイトルは「光州事件」であり前座扱い)、「ソウルの春」に2.5頁、光州事件に5.5頁割いているのは象徴的)。また筆者の主張というか思い入れが強い。廬武鉉政権は「巨大保守言論の垂直的で一方的なコミュニケーションに対する水平的で自由なコミュニケーションの勝利」「(戦争や独裁を経た後の)ハッピーエンドに終わる物語のよう」である一方で、その後の李明博・朴槿恵政権は「息を潜めていた旧時代の亡霊たちを一挙に蘇らせてしまった」と、極端な対比である。いずれもその時々の市民の選択の結果なのに。朴槿恵政権末期の国民の離反はまた「ハッピーエンド」と言うのだろうか。尤も、崔順実ゲート自体は軍事独裁スタイルとは関係あるようには思えず、「旧時代の亡霊」とは言い難いが。
新版では日韓関係の推移にスポットを置いたとのことである。確かに日韓関係は、一般の日本人が韓国現代史を見る上での重要な要素である。しかし筆者の論調では、中間派・穏健派の日本人の共感も得られにくいのではないか。
と批判的に書いたが、同名の中公新書が政治史・政局史とすれば、こちらは「下から」「周縁から」の視点。両方から見ることで理解が深まるのは間違いない。また、韓国で左派と言われる人々の思考を知ることができる。さらに、民主主義が安定し全羅道差別・地域対立が薄まってきた現在の下にも、こういう歴史及び歴史認識が積み重なっていることを再認識するのにも有益である。光州事件の認識が今でも時折問題となることがあるように。
- 感想投稿日 : 2016年12月23日
- 読了日 : 2016年12月23日
- 本棚登録日 : 2016年12月23日
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