プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わかならない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたことだけは確かだ。
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自伝・評伝
- 感想投稿日 : 2015年7月3日
- 本棚登録日 : 2015年7月3日
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