知の考古学 (河出文庫)

  • 河出書房新社 (2012年9月5日発売)
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どんなに個性的な作品でも、何かに似ている。

フーコーの革新性は、ある一つの作品や思想、あるいは、ある時代のひとまとまりの作品群のような形象(<言説形成>)はその作者や一定の作者たち(たとえば、シュールレアリズムならアンドレブルトンなど)によるものというだけではない何かがあるはずだという着眼だった。そして、それが「何か」がわかりはじめたとき、それは<ポジティヴィテ>と定義された[p238]。

このことが意味するのは、たとえば一冊の本を書くとき、書いたのは書いた人なのだが、その本を書いた時間やその作者が受けてきた教育などの影響といったものを含めて考えた時、純粋に書いた人が書いたといい切れる部分は少ないということだ。つまり、どんなに個性的な作品でも、何かに似ている。そしてまた、何にも似ていないような個性的すぎる作品は時代によって淘汰される(たとえば、ファン・ゴッホなど)。このように、時代によって淘汰されるその規制のシステムは<アルシーヴ>と定義される[p246]。単純なはなし、フーコーはこのことをどこまでも突き詰めたし、一つの方法にまで高めた。

そうした方法をもちいて分析され、記述されたのがフーコーのそれまでの著作群であり(「監獄の誕生」「狂気の歴史」「言葉と物」など)、この「知の考古学」はその方法そのものの詳細な定義、記述にほかならない、というふうに明言されている[p35]。要するに<エピステメー>と定義された[p359]ある時代特有の諸言説などの総体を浮き彫りにする作業だった。

私たちは彼の方法を受け継いで、異なった視点から<アルシーヴ>による<言説形成>および<ポジティヴィテ>を分析、記述することができるだろうし、それがある時代の<エピステメー>として浮き彫りにもなるだろう。まるで地層や発掘された骨などの考古学的資料をみるように。

哲学としてだけではなく、むしろ地層学や考古学と関連させるほうがより思想史、そして哲学という学問にも幅と深さがでる。「知の考古学」は、哲学として閉じるのではなく、開かれていくための方法を示唆するミシェル・フーコーの決定的な作品である。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2014年4月30日
本棚登録日 : 2014年3月24日

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