私の男 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (2010年4月9日発売)
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感想 : 905
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……川端康成の小説に『眠れる美女』という作品がある。薬で眠らされた全裸の少女と添い寝するという、退廃的な遊戯に耽る老人の話だ。老人は複数の少女を相手にするが、ある少女と寝た時に、ふと、あることを思い出す。……

『私の男』という扇情的なタイトル。〈私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた〉と冒頭から退廃的な空気を匂わせる。10頁もいかないうちに、語り手・花が「私の男」と呼ぶ男が、婚約者ではなく養父のことであると判明し、物語は加速度的に背徳の色を濃くしてゆく。追いうちをかけるように明かされる、過去の殺人と近親相姦の事実。そして物語は、この父娘の罪と転落の歴史を、語り手を変えながら少しずつ遡って行く。

ここまででも十分に暗澹たる内容であるが、章を追うごとに次々と衝撃の事実が明らかになり、物語はほとんど絶望的になっていく。そして終盤のどんでん返し。ここにいたって、この父娘の悲劇性は、真のテーマは、近親相姦という特殊な問題ではなく、人間存在の根幹に関わる普遍的な問題らしいと気づかされる。

……『眠れる美女』の老人は、少女の体臭に「これは、母の匂いだ」と思い至る。十代の少女の裸体を前に、還暦を過ぎた老人は、在りし日の母の姿を思い起こす。……

花の養父・淳悟の内面は、最初はほとんど描かれない。物語の終盤になって、初めて彼の魂の叫びが洩らされる。求めても得られないものを求めずにはいられない幼児の叫び。それは、鏡と鏡を合わせたように、花に反射して増幅し、共鳴する。親子の役割が逆転する。

ほんとうの問題は、性的倒錯というより、母性剥奪にあるのではないだろうか。物語の中でしばしば、海が象徴的に描写される。生命を生んで育む海。一方で、荒れた時には、あらゆるものを呑みこんで奪いつくす海。海は羊水、即ち子宮であり、「母」の隠喩なのかもしれない。抜け殻のように座りながら一心に海を見つめる花も、死ぬときは必ず海に還るのだと言う淳悟も、求めても得られなかった母性に対する憧憬を、無意識に海に求めているのかもしれない。

孤独な魂には、善意の人々の言葉も届かない。養父の「生きろ!」という叫びも、自分だけ置いていかれたという恨みしか呼び起こさない。老人の命がけの説得も、空ろな心には響かない。事の深刻さも理解できないまま、善悪の彼岸をやすやすと超えてしまう。そうして、母に見放された孤児たちは、偽りの幸福に溺れながら、閉じたループを描いて、いつまでもさまよい続ける。

淳悟が去って、残された花はつぶやく。
〈わたしは、これから、いったい誰からなにを奪って生きていけばいいのか〉。
遺憾ながら、心理学のセオリーに従うかぎり、答えはひとつしかない。自分の子供から奪うのである。淳悟の母が淳悟から、淳悟が花から、順に奪ってきたように。

健康な母性を花に期待できるだろうか。明るく輝く南国の海を「バカみたい」としか評せない花に? 淳悟の攻撃性が花に受け継がれてしまったことは、第一章の最後、花が小町に暴力をふるうシーンとして描写されている。花の子供もまた、求めても得られないものを求めてあがく空洞になるのだろうか。負の連鎖をとめることは不可能なのだろうか…。

とにかく最初から最後まで呑まれっぱなしだった。私の中ではベスト100に入る傑作だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 現代日本文学(平成-)
感想投稿日 : 2011年10月9日
読了日 : 2011年10月9日
本棚登録日 : 2011年10月4日

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