教養としての冤罪論

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  • 岩波書店 (2014年1月24日発売)
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裁判員制度によって、市民が刑事裁判を行う時代になった。裁く立場の市民は、市民感覚だけで裁判を行うことになっている。その市民感覚を裁判に持ち込むことが必要な、重要な理由は「冤罪感覚」にあるという前提から、裁判員になりうるすべての市民のための基礎的教養として、過去の冤罪の事例研究、冤罪が発生する仕組み、冤罪によって生じる結果としての不正義を詳しく検証して紹介している。
いかなる事件の裁判においても、有罪・無罪の判断要素として、その事件に含まれる冤罪性リスクが考慮されなければならない。刑事裁判では、結論をだすまでに、冤罪性リスクによる葛藤が生じなければいけない。だからこそ、市民は冤罪性リスクを知らなければならない。
別件逮捕、見込み捜査、そして原則としてすべて自白には強要の要素が入っているという事実。DNA判定等科学捜査といわれるものの限界と、それらが覆された上で冤罪と再判断された事件など、これらを知ったうえで市民は裁判に参加すべきだと思う。
なぜなら、職業裁判官でない市民が裁判に参加する理由は、市民感覚、冤罪感覚であるのだから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 実務書
感想投稿日 : 2014年4月17日
読了日 : 2014年4月17日
本棚登録日 : 2014年4月17日

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