優生学と人間社会 (講談社現代新書)

  • 講談社 (2000年7月19日発売)
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「しかし、シャルマイヤーは、性病や遺伝病については「患者一人の利益を無条件に守れば、他の多くの人間の利益が犠牲にされてしまう」として、後者の利益を前者に優先させた。」

優生学がどのように発展し、国の政策として活用されていたかについて書かれた本。
優生学は、ナチスドイツのような全体主義よりも、手厚い介護を提供する福祉国家と密接に関連しているものである。
それは、障害者に対する福祉の費用が莫大なものであり、健常者への福祉が薄くなってしまうからである。
’福祉国家’は国民への手厚い福祉を重視しているので、費用がかかる国民は国にとって重い負担である。

一般的な堕胎はよくて、病気の有無などによる選択的堕胎を認めないのは、二重基準と呼ばれても仕方がないと思う。
堕胎は、女性の権利なのか、それとも胎児の権利なのか非常に難しい問題であるが、法学的に考えると胎児に権利を認めるのでは妥当ではないように思われる。
なぜなら、どの部分から’胎児’として認知できるのか分からないからである。
受精卵は権利を持つのか?

そうすると、女性の権利としての堕胎を考えるしかなく、’育てる’ということも考慮すると、DNA検査によって障害を持つと分かった子を堕胎すると決めても、誰も非難することはできないであろう。
それよりも、無理やり産ませることのほうが、その女性への侵害である。

しかし、ダーウィンの自然淘汰によると、ある人間が新しい環境に適用できるかどうかわからないことから、人間の多様性を認め、未知の病原菌に’人類’として対応できるほうがよいので、人間に関しては、優生学的発想を適用するのは好ましくないと思われる。
人間が利用するものは、人間の都合のよいように操作すればよい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文化
感想投稿日 : 2013年6月20日
読了日 : 2013年6月20日
本棚登録日 : 2013年6月20日

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