街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

著者 :
  • ミシマ社 (2014年10月24日発売)
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最近の内田先生の本の中で特に良かった。語り下ろしが良かったのだろうか。

"僕たちは未だに韓国から先の戦争中の従軍慰安婦制度について厳しい批判を受け、謝罪要求されています。日韓条約で法的には片がついているとか、韓国には十分な経済的な補償を済ませているから、いつまでも同じ問題を蒸し返すなというようなことを苛立たしげに言う人がいますけれど、戦争の被害について敗戦国が背負い込むのは事実上「無限責任」です。定められた賠償をなしたから、責任はこれで果たしたということを敗戦国の側からは言えない。戦勝国なり、旧植民
地なりから、「もうこれ以上の責任追及はしない」という言葉が出てくるまで、責任は担い続けなければならない。”  21ページ

"靖国神社に終戦記念日に参拝する政治家たちのうちには「中韓に対する謝罪は済んだ。いつまでも戦争責任について言われるのは不快である」と言い募る人が少なくありません。僕はこの考えがどうしても理解できないのです。彼らがもし自分たちのことを大日本帝国臣民の正当な後継者だと思っているのなら、祭神である死者たちに深い結びつきを感じているつもりなら、死者たちに負わされた「責任」の残務をこそ進んでわがこととして引き受けるはずです。それによって死者たちとのつながりを国際社会に認知させようとするはずです。”  79ページ

”民主制も立憲主義も意思決定を遅らせるためのシステムです。政策決定を個人が下す場合と合議で決めるのでは所要時間が違います。それに憲法はもともと行政府の独創を阻害するための装置です。民主制も立憲主義も「物事を決めるのに時間をかけるための政治システム」です。だから、効率を目指す人々にとっては、どうしてこんな「無駄なもの」が存在するのか理解できない。
 メディアも理解できなかった。そして「決められる政治」とか「ねじれの解消」とか「民間ではありえない」とか「待ったなしだ」とかいう言葉を景気よく流した。そうこうしているうちに、日本人たちは「民主制や立憲主義は、『よくないもの』なのだ」という刷り込みを果たされたわけです。
 現在の安倍政権の反民主制・反立憲主義的な政策はそのトレンドの上に展開しています。国民たち自身が自分たちの政治的自由を制約し、自分たちを戦争に巻き込むリスクが高まる政策を掲げる内閣に依然として高い支持を与え続けているのは、「民主制や立憲主義を守っていると経済成長できないなら、そんなもの要らない」と思っているからです。  143ページ

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2015年6月10日
読了日 : 2015年7月15日
本棚登録日 : 2015年6月6日

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