銃口 (下)(小学館文庫) (小学館文庫 R み- 1-2)

著者 :
  • 小学館 (1997年12月5日発売)
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感想 : 39
5

感動する小説は世の中に数多あります。
ただ、打ちのめされる小説に出合うことは滅多にありません。
打ちのめされました。
世に言う「北海道綴り方教育連盟事件」を題材にした94年刊行(単行本)の小説です。
と聞けば、こういうご時世です、「反戦平和小説ですか」「サヨクですね」と揶揄する向きもあるでしょう。
それは半可通というものです。
早合点するなかれ、主人公の竜太は紛うかたなき皇国民です。
陛下の大御心を理解し、奉安殿に向かって深々と、それは見事な最敬礼をする青年です。
そういう青年が「アカ」と疑われ、治安維持法違反で過酷な取り調べを受けたのです。
げに恐ろしいのは法律の中身でも政治家でもない、法律を拡大解釈し、政治家の意を体して現場で運用する官憲なのだと思いました。
いや、まあ、それはいい。
ある種の小説を読むと、すぐに「テーマは何か?」「この小説の教訓は?」と考えてしまうのは私の悪い癖です。
本作は、一個の物語として実に読み応えがあります。
小説は、主人公の竜太が小学3年のころから書き出されていきます。
大正天皇が崩御して昭和に変わっていく時分です。
小学校で竜太は坂部先生という恩師に出会います。
教育に情熱を注ぐ坂部先生の影響で、竜太も教師を志すようになり、やがて師範学校を出て夢を実現します。
ところが、たまたま綴り方連盟の会合に顔を出し、記名したことで無実の罪を着せられ7か月間にもわたって拘留されることになります。
この間、厳しい取り調べが続いたわけですが、竜太が何にも耐え難かったのは教員の退職を強要されたことです。
保護観察の身となって娑婆に出た竜太を、さらなる悲劇が待ち受けます。
同じく綴り方連盟に加担したとして逮捕、拘留されていた坂部先生が、厳しい取り調べの末に亡くなっていたのです。
竜太は慟哭します。
私もこの場面では涙を禁じ得ませんでした。
竜太はさらに時代の波に翻弄されます。
召集令状が来て、兵隊として満州へと渡るのです。
そこは死と隣り合わせの戦場でした。
実は、思想犯の前科のある者は、とりわけ厳しい任に就かせるという不文律があったのだそうです(しかも竜太は思想犯では断じてない!)。
この点、先年読んだ吉村昭の「赤い人」を想起しました。
ただ、そんな竜太にも心の支えとなってくれる人がいました。
その一人が、何と言っても、竜太の小学生時代からの同級生であり、恋焦がれて来た芳子です。
治安維持法違反容疑での拘留、そして戦争とさまざまな障害に阻まれながら、芳子との恋を成就し、敗戦直後に挙式する場面は目頭が熱くなります。
竜太を陰に陽に支えた家族、短い教員生活で出会った尊敬すべき教師たち、さらに戦場でも心優しい戦友に恵まれ、その交流のひとつひとつがジンと胸を打ちます。
そうそう、小説のごくはじめの方に登場する金俊明という男に触れないわけにはいきますまい。
タコ部屋から逃げ出してきた朝鮮人です。
この男が物語のキーマンの一人だったのですね。
興趣を殺ぐことになるので、これ以上は触れませんが…。
戦争は言うまでもなく、人の命を脅かし、大切なものを有無を言わさず奪っていきます。
著者の筆運びは淡々としていますが、行間からはそんな声が聞こえてきそうです。
ただし、そんじょそこらの反戦平和小説では断じてありません。
物語の最終盤、竜太が愛する祖国の敗北に涙を流したことを付記して筆を置きます。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年3月12日
読了日 : 2017年3月12日
本棚登録日 : 2017年3月12日

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