大学生の学力を診断する (岩波新書 新赤版 756)

  • 岩波書店 (2001年11月20日発売)
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「分数ができない大学生」という本が話題になった。そりゃあ、使わなければ忘れるしなあ、別に必要ないものは忘れてしまってもいいじゃない、他に覚えることいっぱいあるし、なんて考えていた。でもそれはちょっと誤解だったかも知れない。その真相を知りたくて本書を手にした。どんな問題が学生に課されたのか。どのレベルの大学の、どのような学生を対象にしたのか、などなど詳しく説明されている。それらを読むにつけ、これは確かにちょっとやばいのじゃないかと思えてきた。2次方程式の解の公式を忘れてしまったというのは仕方ない。でもルート49が7と言えないのでは、なんぼなんでも中学高校でどうやって数学の授業を受けてきたのかと思ってしまう。中高一貫の附属校だったのかも知れない。大学受験に数学がいらないとなった瞬間に、数学のすべてを放棄してしまったのかも知れない。個々にいろんな理由があるのだろう。しかし、子どもたちの学習環境が変わってきたことが原因の1つであることは間違いない。教科書が薄くなった(つまり内容が減ってきた)。授業時間数も減少している。ゆとり教育の名のもと、少ない内容を短い時間で教えようとしてきた。2002年、それはさらに進行する。子どもにもっと高度な教育をと考えれば、公立学校以外で教育するよりほかない。塾へ行かす経済的余裕があればよい。親が子供の教育を真剣に考えるなら良い。そして、私立受験校に行けば、指導要領と関係なくことが運んでいく。文科省もまたそれを良しと考えているようだ。一部のエリートはそうやってつくられていく。しかし、経済的余裕のない家庭に育った子どもはどうなるか。親が教育に興味がないならどうか。それで子どもの将来が決められてしまって良いのか。公教育はその責任を放棄するのか。子どもに機会は均等に与えられていない。そんなふうに思えてくる。でも一方でふとこんな考えも浮かんでくる。エリートっていったい何?高級官僚になろうと、会社役員になろうと、とんでもない非常識なことをしている連中がいる。それって、人間としてはどうなの?あまりにも計算ができないなんていうのは商売するにしたって、職人になったって、農業だって困るかも知れない。でもそれぞれの職に就く中で、それぞれに必要なことを身につけて行くはず。だいたい学校で教わったことが社会に出て役立ったなんてことはあまりきかない。バイトをして、1人旅をして、そして社会的な勉強をしてきたということの方が多いように思う。そう考えれば、総合的な学習の時間は有効に使えば役に立つ。指導する人間の力量にかかっていることがやばい、のかなあ?

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 教育
感想投稿日 : 2015年10月8日
本棚登録日 : 2015年10月8日

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