東大法学部の歴史と、それに関係する政財官界の人脈、さらに彼らの業績(所業というべきものもあるが)などの基本データが充実していて、日本における東京大学の位置づけがとてもわかりやすい。
その反面、著者独自の主張となると、やや物足りない。
主な論点は、国家中枢への人材供給源としての東大法学部の終焉と、それに伴う法学部の学生の劣化である。この論自体は、今となっては(多分、この本が出版された2005年当時でも)めずらしい話ではないように思う。
東大法学部出の官僚の堕落、市場主義者的な東大生への違和感、予備校化した東大のありようなど、東大を取り巻く現状に対して、さまざまな疑問が提示されているが、要は
「公共に尽くす考えのない東大生(含む教授)のために、実質的に国立大学である東大に、多額な国民の税金をつぎこむのはおかしいいだろ!」
ということなのだろう。
そんな東大生は「エリート」ではない、ということで、じゃあ真の「エリート」とはどんなものかというと「ノブレス・オブリージュ」のお話で何となくお茶をにごされた感があり、また、エリートの育成法についても、具体的には奨学金の充実というくらい。
旧制一高について書かれたあたりを読む限りでは、著者に「エリート教育」について熱い思いがあるように感じたので、拍子抜けな感は否めない。
これからの日本には、誰が何といおうとエリート層が必要だと思っている自分としては、そのあり方と育成方法について非常に興味があったのだが……。
実際問題、いわゆる優秀な高校生の進学先が東大以外の海外の大学にも広がっているとはいえ、人数的にも制度的にも、とても、それらがメジャーになっているとは言える状況ではない。なんだかんだいっても、優秀な日本人の子供は、どうしても東大を目指してしまうのだ。ならば、ここは腰をすえて、東大を真のエリート養成機関として再構築する方が近道なのではないだろうか。
著者も、とうの昔に賞味期限切れとなった、現在の東大(および、それを頂点とするシステム)に対しては厳しい姿勢をとっているものの、「東大」的なものを否定しているわけではない。
今度はぜひ、東大のリストラクチュアリングについて論じてほしいと思う。
- 感想投稿日 : 2009年12月11日
- 読了日 : 2009年12月11日
- 本棚登録日 : 2009年12月11日
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