小学三年生の夏、ぼくは、海辺の町に住んでいました。
自転車や物干しの金具はあっという間にさびつくし、お世辞にも綺麗な海じゃなかったから、
潮風のにおいは清々しいものとはあんまり言えなかったかもしれない。
だけど、テトラポッドに登って、遠くの方を眺めていたり、
どこかから流れ着いた得体のしれないごみなんかがテトラポッドに
挟まっているのを観ると、空想が広がって、世界はとても広いものだ、と思ったりしていました。
その夏は、毎日、図書館に通いつめて、司書の人に顔を覚えられるくらいに
本を借り続けて物語の世界に浸っていました。
本そのものとはあまり関係はないのだけれど、
麦ふみクーツェを読むと、ぼくはそんな頃を思い出します。
良質な物語は、その人の心の面積をほんの少し拡張してくれる気がします。
主人公はねこと呼ばれる少年で、彼は誰よりもうまく猫の鳴き声を真似することができた。
彼はものすごく大きな体を持っていて、母親が亡くなってしまったのも、
大きな体の自分を産んだからだと思っています。
彼はある日、自分にだけ聞こえる麦ふみの音を聞くことになります。
とん、たたん、とんというリズムは物語を通して響き続けることにもなる。
お父さんは数学の美しさにに魅せられた変わり者、
おじいさんは吹奏楽の王様として、ティンパニを操りながら、
港の倉庫で街の人たちの吹奏楽団の指導役をしている。
この作品にはへんてこなひとたちばかりが登場します。
お父さんは数字に取りつかれ、おじいさんは音楽に取りつかれている人たちだし、
目の見えない元プロボクサー、玉虫色スーツのセールスマンや、
色盲なのに、みどり色と名付けられた女の子などなど。
へんてこな人たちは、そのへんてこさ故に、目立ってしまう。
でも、へんてこさを持った人たちは、そのへんてこさを磨いていくしかないのです。
それが、へんてこであるということに誇りを持てるたった一つのことだから。
- 感想投稿日 : 2015年4月21日
- 本棚登録日 : 2015年4月21日
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