タイトルになっている「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか」という問いのほか、「夏目漱石の『坊っちゃん』のヒロインは誰か」「多くの人が、太宰治の『走れメロス』に感動した記憶を持っているのはどうしてなのか」という問いを追いかけ、日本における「文学」のあり方を論じています。
芥川賞の候補になった村上春樹の『風の歌を聴け』と『一九七三年のピンボール』は、「アメリカ的なもの」をキッチュかつフェイクな形で描いていると著者は指摘します。そして、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のようにアメリカへの「屈辱」をモティーフにするのでもなく、また田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のようにアメリカへの「依存」をぎりぎりの批評性とともに表明したのでもなく、「アメリカの影」にある私たちの「根っこ」をあけすけに描き出したことが、春樹に芥川賞が授賞されなかった理由だという見方が語られます。
一方『坊っちゃん』については、老年の下女である清が、坊っちゃんのヒロインだという主張が展開されています。漱石は、文明の幕開けである明治の時代を生きた「近代小説」の「根っこ」に、それまで彼ら自身が属していた「江戸」の終焉という出来事があったということを、清を愛惜する『坊っちゃん』という物語の中で示していたのだと、著者は考えます。
太宰治の『走れメロス』は、私たちのノスタルジーを喚起する「夕陽」という仕掛けが効果的に用いられています。そして著者は、「夕陽」を通じてノスタルジアに浸るという私たちの感情が、近代の中で作られてきたということを抉り出しています。
こうして著者は、3つの問いを通じて、近代以降の日本文学の「根っこ」を掘り出すという作業をおこなっています。ただ、そうしたテーマ設定は興味深いと思いましたが、一冊の本として読むとき、すこしまとまりに欠ける印象を抱いてしまったのも事実です。
- 感想投稿日 : 2014年7月27日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2014年7月27日
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