機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる

  • 草思社 (2012年5月24日発売)
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感想 : 50
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本書は,科学と哲学についてのノンフィクションライターである著者が「人間らしさとは何か」をテーマとして書いた本である。著者自身によれば「本書は人生について記したものである」(29頁)。具体的には,チューリングテストにさくら役として参加することになった著者が,「もっとも人間らしい人間」賞を獲得するために「人間らしい」とはどのようなことなのかを様々な角度から考えていくというものだ。

著者がチューリングテストにさくら役として参加することが決まったところから話は始まる。チューリングテストとは,まるで生身の人間であるかのように会話できるチャット・プログラムを競い合うというテストである。つまり,チューリングテストとはコンピュータが「人間に似ている」のか「人間に似ていない」のかを見極めようとする試みなのだと言える(61頁)。しかしながら,サクラ役としてテストに参加した著者の目的はそれとは異なる。著者の目的は,本物の人間が自分を「本物の人間である」と審査員に信じさせられる会話を展開することである。では,人間らしい会話とはどのようなものなのだろう?

本書では,非常に多くのテーマを扱いながら「人間らしさとは何か」を考えていく。魂と心,チェスの定石,合理的経済人にデータ圧縮など。これらの幅広いトピックを通じて,「人間らしさ」を形作っていると著者が主張するものは大きく二つあるように思える。一つ目は,全体を通じての統一感や人間としての一貫性である。チューリングテストでは,相手が人間かどうかを判断するための手掛かりは文字を通じた会話しかない。その会話の一部を取り上げたときに,その部分がどれほど「人間らし」かったとしても,全体的な統一感に欠けているとそれは人間らしい会話とは言えない。「人間らしいとは(...)一つの視点を持つ特定の人間であるという(51頁)」ことであり,「人間らしさの断片を寄せ集めたところで,人間らしくなれるわけではない(54頁)」のである。言い換えると,多くの知識を持っていたり言語の仕組みに精通していたりしても人間らしい会話はできないということだ。日常的に目にする文章を理解するためには語彙や文法の知識を持っているだけではなく「世界の仕組み」を理解している必要があるのである(95頁)。

二つ目に,状況に応じた対応力(=どれだけサイトスペシフィックに対応できるか)が人間らしい会話を成り立たせているというのである(117頁)。言い換えると「会話の定石を用いた会話」は会話っぽくならないということだろう。著者のことばを借りれば「具体的な会話の「メソッド」を教えてところであまり役に立たず,営業マンやナンパ師や政治家の言葉が人間味に掛けるのは,そのせいでもある(130頁)」ということだ。就職活動の面接での会話を思い浮かべるとこの指摘にはうなずけるのではないだろうか。

本書はあまりにも幅広いテーマが扱われているため,とりとめがない印象を受けることは否めない。それでも,読み進めていくうちに,その部分が本論と関係することがわかってくる。しかし話が唐突な感じがして読みにくいという印象は受けるかもしれない。それと関係して,本書のテーマとの関係性が見えにくいために,何を主張したいのかが分かりにくい部分も少なくないように思う。10章の「人間らしさとデータ圧縮の関係」を述べた箇所は理解しにくい。また比喩がわかりにくく比喩の役割をはたしていないと感じる記述も多い。しかし,読みにくいところはそのまま読み飛ばしてしまっても概ね全体を理解するのに支障はないかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年8月12日
読了日 : 2013年8月12日
本棚登録日 : 2013年8月12日

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