苦しくて、痛ましくて、二度と頁を開きたくないけれど、胸に突き刺さる物語。
「ロンパリ」と、斜視で生まれてきたことが罪であるかのように罵られ、
筆舌に尽くしがたい暴力に晒される日々を送る中二の「僕」。
別れた父を忘れないための「しるし」として、敢えて汚れを身に纏い、
「わたしたちは仲間です」と僕の筆箱に手紙を忍ばせ、
自分と同じように苛めに静かに耐える「君の目がとてもすき」と言うコジマ。
ふたりは手紙で心を通わせ、時にはふたりきりで会って励まし合いながら
教室では目も合わせず、まるで弾圧下のキリシタンのように苛めに耐え続けるけれど
「したいからするんだよ」「良心の呵責みたいなものなんてこれっぽちもない。」
「僕にとっては苛めですらないんだよ」としれっとして言い放つ、
苛めの影の首謀者 百瀬の態度に端的に表れているように
人間サッカーボールとして蹴られて血みどろにされても
暴力で報復しようなどとは露ほども思わない僕の倫理も、
人を苛めるしかない人間のためにも、美しい弱さで苦難に耐え
乗り越えることこそが自分の使命だと信じるコジマの自己犠牲も、
酷薄な苛めを積極的に続ける人間には届かない。悲しいけれど。
「理論武装」という言葉をそのまま3D化したかのような百瀬の
自分が思うことと世界の間には関係がない、という主張はある意味正しいけれど
だからといって、自分の価値観の中に相手を引きずり込めた方が勝ちと嘯き
そのためには手段を選ばない、彼のような人間が病巣となって
悪意が蔓延していくような世の中になったら・・・と思うと、ぞっとしてしまう。
斜視で全てのものが二重に見えてしまう僕よりも、
自己犠牲に酔って壊れていくコジマよりも、百瀬がいちばん病んでいる。
雨に打たれ、痩せた身体を晒し、自己犠牲の恍惚の中で苛める側に微笑むコジマにも
コジマが好きだといった斜視を手術で治してしまったことを懺悔するかのように
はじめて像を結んだ世界の美しさを誰とも分け合えないと思う僕にも、伝えたい。
身体の不自由さや、不幸な環境を敢えて維持して繋がって
痛々しいほどの自己犠牲に耐えてまで、理不尽な苛めに対抗することなんてないんだよ。
「目なんて、ただの目だよ。」と言ってくれたお母さんや
たった1万5千円で済む手術の可能性を知らせてくれたお医者さんのように
今、手に入れられるものを素直に健やかに受け入れて自分を救うことで
大切な誰かに手を差し伸べられる人にだってなれるんだよ、と。
- 感想投稿日 : 2012年10月19日
- 読了日 : 2012年10月19日
- 本棚登録日 : 2012年10月19日
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