人生は彼女の腹筋

著者 :
  • 小学館 (2014年6月25日発売)
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本棚登録 : 39
感想 : 9
4

「惜しまれながら逝った作家の最後の作品集」

帯のコピーに目を奪われた。
駒沢敏器という名に出会ったとき、その未知の書き手は既に亡くなっていた。
『人生は彼女の腹筋』
というタイトルにも惹かれた。意味不明なのに明らかに何らかの示唆を隠しているという予感がある。
帯のコピーは、
「場所と時間、出会いと別れを紡いだ『ここではないどこかへ』の物語」とつづく。

単行本や文庫本につけられた帯のキャッチコピーに惹かれることは、私の場合はまずない。たいがいは売り手がウケを狙って「煽り」目的で書いた下劣な意図がミエミエで嫌だと思うことがほとんどだ。
だが、このコピーは上品に抑制が利いていて、秀逸な追悼文だと感じた。
気がつくと、書店の平台の中でひときわ低くなっている窪みの底から、不可思議な遺言というべきこの一冊を手に取っていた。

読んで鳥肌がたったなら、その本のレビューを書いて世の中の人の目に触れるところに公開することを、私はセオリーにしている。
表題作の「人生は彼女の腹筋」の中に鳥肌ポイントはあった。
それは、友人のインド人ビジネスマン宅のパーティーに招かれた主人公が、意味ありげに、
「今日、あれはあるのかい?」と、問い。
「君のために用意しておいた。2階にある。あとで好きなときにやってくれ」
という会話があって、主人公は多国籍のパーティー客が乱痴気騒ぎをする部屋を離れて密かにあるモノを試す。
そうして、そこに友人の究極に美しい身体の持ち主の妻が一人でやってきて、セーターを自らたくしあげて見事に割れた腹筋に触れさせさらには胸まで触れさせる。
ここまで描いておきながら、主人公が「やった」のはドラッグなんかじゃないし、友人の妻とも「やり」はしない。
世に氾濫したありきたりでワンパターンな映画や小説に毒された読者の下劣な先入観を見事に裏切って見せてくれる(ではやったのは何か、はネタバレになりますからここでは言えない)。
「ここではないどこかへ」の物語という帯のコピーは、こういう下劣な読者の思惑とは違うところというのがひとつの意味のようで小気味よい。
もうひとつ、「ここではないどこか」を示唆する意味ありげだがよくはわからないヒントのような箇所があって、私は思わず鳥肌が立った。

それは、友人の妻の本棚を見て小説家である主人公が本棚の持ち主である彼女の内面について語るシーンだ。
本棚にならぶ本を見てそれらを選んだ人間の人間性を汲み取るというのは、本好き読書好きの者には一種堪らない誘惑に満ちた行為だろう。
精神分析者のラカン
2冊のフロイトとユングが数冊
かなりたくさんの澁澤龍彦
量子力学に関する一般書
19世紀のロシア文学
僕の最も疎いフランス文学
大江健三郎がいくつか
村上春樹もほぼ揃っている
というような本棚だ。
その本棚の持ち主である彼女が主人公の小説を読んだ感想を言おうとする。
その続きを引用するとこうだ。
 ー「君からの感想は聞きたくない」僕は笑った。「楽しく読ませていただいたわ」彼女は言った。
「言葉のリズムが私には馴染んだのよ。考え方とか内容がどうこうよりもまず、高田さんの文書のリズムは私にはとっても正解だった」
  「大江健三郎を読んでいる君の言うリズムっていうのは、どこまで信用していいのかな。しかも僕はフランス語がぜんぜんできない」ー

大江健三郎の作品は、おそらくは意味深長なのだろうが正しく意味がくみ取れたと確信が持てたことが私には一度もない。それは、我が国でも随一といっていいくらい文体が晦渋だからだ。もっとはっきりいうと、大江健三郎の書いた文ほど歯切れが悪くてリズムが悪い文はないと私は強く思っている。だから、主人公の気持ちから言わせると、(あんな奴の本をいいと思っている君からリズムがいいとか言われても、信じられないね)ということだろう。そうしてまた、私はフランスとパリの街は大好きで、また小鳥のさえずりのようなフランス語の響きとリズムが大好きだ。だがしかし、哀しいかなフランス語は全く理解できない。だから、あまりにも大きく深い共感からぞくっと鳥肌がたったのかもしれない。

未知の書き手ではあったが、略歴をみると元雑誌「SWITCH」編集者とある。だから、気づかないうちにこの人の文章は幾つか読んでいるのかもしれない。
略歴には2012年逝去とだけある。
この書き手が示唆した「ここではないどこか」とはどこなのだろう。51歳の若さで逝った作家はヒントだけ残した。
公の略歴には記されていない死因はなんなのか気になってググってみた。
ウィキペディアになにげに載っていた死因は、

絞殺だった。

この書き手の人生は、一体何を示唆しているのだろうか。
少なくとも、この書き手が否定した下劣でワンパターンなストーリーのようなものではないことだけは確かだろう。
それが何なのか、考え続けることで追悼とさせていただきたい。
ご冥福をお祈りいたします。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2014年7月15日
読了日 : 2014年7月15日
本棚登録日 : 2014年7月15日

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