これを書く前に試しに見てみたら、以前に書かれたこの本のレビューは4つあった。ひとつ残らずが3つ星評価で、かなり辛辣な批評ばかりであった。批評本の批評なわけだから仕方ないのかもしれない。
著者の本は2、3冊目で、まだ代表作も読んでいないにも拘らず、すっかりファンになってしまっている私としては、なんだか怖くて書けない気分になってしまった。
そうしたら今朝のNHKBSの週刊ブックレビューに、書評ゲストとして関川さんが出演してた。紹介している本は、宮脇俊三の『時刻表ひとり旅』。鉄道オタク的なこだわりからスタートして日本と時代との一断面を描ききった本だという。
そもそも、執拗なまでのこだわりぬいた下調べに基づいて、時代の空気を描いていく手法は、もともとは関川さんの得意技だと思う。だから、宮脇俊三のこだわりにも共感して紹介しているのだろう。
やはり「良い」ね。
誰が何と言おうと、私は良いと思うので書くことにした。
本書『坂の上の雲と日本人』の中で著者関川夏央は、司馬遼太郎の手法を「地図の思想」と喝破している。見事である。
近代短歌の巨匠正岡子規、日本海海戦を奇跡的勝利に導いた秋山真之と、日露戦争の陸上戦においてコサック騎兵を破った秋山好古の兄弟の三人が、「松山」という地図上の町でいかにして必然的に絡み合ったのか、そしてこの街から日本へやがて世界へと羽ばたいていくか、そこのところの描き方が司馬文学の要諦だということが明解に理解できた。
鹿児島の「加冶屋町」から始まる西郷・大久保らの物語も、一連の『街道を行く』もすべては「地図の思想」であるわけだ、ふむふむ腑に落ちすぎ。
また、今日では歴史文学の金字塔のごとく思われている『坂の上の雲』が、発表当時の70年代には「反動」と受け止められ、相手にされていなかったことも本書で初めて知った。
学生運動から始まり、いわゆる進歩的思想が思想界を支配していた「あの時代」の、時代の空気みたいなものを描かせたら、関川さんは当代一ではないだろうか。『ただの人の人生』で私はそう感じた。
だからこそ、70年代に限らず、子規や秋山兄弟が吸っていた、いうなれば「明治のオプティシズム」の空気をも司馬遼太郎が描きたかった通りに受け止め批評できているのだと思う。
また、近代日本文学史についての造詣の深さも半端ではない。数々の作品ごとに、あの丹念過ぎるほどの入り込み方で調べ上げられた事の積み重ねに違いない。
その造詣があればこそ、なぜ松山なら夏目漱石であるべき所が正岡子規であるのか、司馬遼太郎以上に明白に批評してくれているわけだ。
本書のおかげで司馬文学が良く解った気がした。同時に関川さんがますます好きになった。
迷わず星5つだね。文句ある?
- 感想投稿日 : 2011年2月27日
- 読了日 : 2007年8月26日
- 本棚登録日 : 2011年2月27日
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