新装版 翔ぶが如く (8) (文春文庫) (文春文庫 し 1-101)

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  • 文藝春秋 (2002年5月10日発売)
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西南戦争、はじまるよ~~!!いよいよ戦闘が始まるも、盛り上がらない…。大した正義のない戦争のつまらなさよ…。


 とはいえ、日本人の戦争の始め方ってもんがわかる。こういう思考回路に陥った時、戦争は始まる。そして、戦争が始まるように敵に罠をかけられる。
 この巻は戦争のない未来のために、読んで心に刻まないとダメだね。

 日本人が巨大な敵に竹槍で応戦しようとするのはこの頃からあったんだなぁ、いやもっと前からなんだろうなぁ。

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p24 日本人には
 西南戦争のきっかけは西郷暗殺の疑い、だったが、その本質は違うところにあるとアーネスト=サトウは見抜いていた。
 日本人の戦のやり方は、堂々たる理論を展開するのではなく、不正義な事件を取り上げ大方の人情を刺激して開戦に持ち込む。

p94 清正城
 熊本の不平士族の一人、池辺吉十郎は薩軍の別府晋介に「熊本城は加藤清正が築いた堅城、いかに攻めるのか」と問うたところ、「別に方略なし。鎮台兵もし、我が行く手を遮らば、これを一蹴して通るのみ」と別府は答えた。

p125 清正信仰
 地方のあらゆる階層の土着民に信仰されるほど愛好を受けたのは、加藤清正と西郷隆盛くらいである。
 清正は戦国時代にこの土地を封じられて、勇猛な性格と秀でた土木技術から人々の人気を集めた。

p157 反官感情
 当時さつまで流行した数え歌に「盗みは官員、咎は民」という物があった。それほど当時の新政府は反感を持たれていた。 
 これは西郷が一番敏感だったことで、維新を好機とみて下級士族が成り上がり贅沢に溺れるようになっている様子を誰よりも嘆いている。

p218 緒戦
 「戦い全体においても緒戦が大事である。小さな隊ことにあっても同じことだ。最初に士気を挙げてしまうだけでなく、味方の士気が低下し、敵を怖れるようになる。そのひらきは埋めがたいほどに大きい。また最初の戦闘に負けた指揮官は、、次の戦闘で名誉を回復しようとし、つい無用の無理をし、また負けたりする。いかに次の機会に苦闘をし、その次の機械に苦闘をしても、人は、あれは名誉回復のためにあせっているのだとしかみず、正当な評価をしてくれない。戦闘は最初において勝たねばならない。」

 薩摩人において歴史的に濃厚な思想である。たしかにわかる。緒戦に勝ったものほど冷静に次の戦いに臨める。
 戦で一番大事なのは冷静なことである。

p261 戦略ではなく戦術
 薩摩軍は戦術的戦闘にこだわってしまった。目指すべきは東京の新政府であるはずが、目の前の熊本城を完璧に落とすことにこだわった。それゆえ、長い目で見た戦略のない戦い方が目立った。
 
 薩摩の戦の仕方は、個々の部隊長に作戦は一任するというやり方だった。それゆえ、一つ一つの戦闘に行き当たりばったりで臨んだのである。
 正義である自分たちに酔っていて、信じる者は救われる、正義は必ず勝つ、という根拠のない自信だけで動いていたんだなぁ。コワイコワイ。ISISかよ。

p332 金による納税
 日本の農本主義では国際経済に参加できない。そのため、新政府は明治六年から農民にも納税を金銭で納めるよう定めた。
 農民は動揺、混乱、反発したが施行された。多くの農民が金納できず苦しみ、土地を売り小作農に没落する者も多かった。地主は資本家化し、旧来の封建的隷属関係から資本主義的格差関係の社会に人々は困惑した。

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 薩摩士族が新政府の軍人になった。やはりその雰囲気が残っていたのだろう。昭和でも同じような戦術と戦略の認識違いを犯してしまった。

 日本人の戦争が人々の感情を利用して始めるというのも、すごく大事な観点である。
 これから政治家が国民の感情に訴えるようなことをしてきたら危機感を持って、それに否と唱えよう。




 戦が始まると、とたんに話のふくらみ方が狭窄してしまい、面白くなくなってきた。もっと広い視野で物語が進まないかな。
 大久保利通どこいった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2015年3月6日
読了日 : 2015年3月1日
本棚登録日 : 2015年3月1日

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