著者は、大学で設計を学んだ後、設計や企画に関わり、街づくりにおける住民の意思決定プロセスの分析や商店街の再生計画におけるコンセプトワークを行っており、街づくりに対して実務レベルではなく、コンセプトレベルで関わっている。
「知能化都市」という題名のとおり、本書では建築のハードに着目した街・建築の機能更新ではなく、情報技術を用いたスクラップアンドビルドに頼らない新たな街づくりの方策について書かれている。これは、建築の設計コンペにみる「かっこいい」から「おもしろい」への評価軸の変化、人間に対する「合理的」から「非合理的」への認識の変化などの社会学的な現代の潮流を感じたゆえの、それらの変化を分析し都市に落とし込んだ、新たな都市像の様相である。
著者が関わった橘銀座商店街での地域更新プログラムでは、その成果として「商店街の目標空間イメージの抽出」ではなく、むしろ「専門家の推奨モデルと商店主たちの理想モデルの乖離」があることを導き出した。この時地域住民は建築物と道路の整備を行わず、いまの町並みを維持し地域の文化を優先した。
ここに価値の二重性を見出し、多様性が街づくりで大切であると結論づける。
しかし、街づくりについては、意見交換やイメージの抽出はある意味前提条件を準備している段階であり、その後の折衝や意見の統率が最も重要な部分であり、なおかつ最も難しい部分である。その部分に関わる前に「価値の二重性」という結論で締めることは、著者の業務範囲ということもあるが、幾分不完全と言える。
デザイン行為とは、人の営みという多様性をある形式に定着させるものであり、コンセプトワークも形式や特異点を抽出し理論として定着させる行為である。このような収斂という行為を前提としている中で、「多様性」や「非合理性」を持ち出すと、当然に収斂という前提条件が否定されることになり、街づくりという行為そのものが否定される。
「多様性」や「非合理性」をデザインすることは、自己矛盾なのである。
さらに、街づくりの住人以外の人間が業として関わる上では対価が必要である。これは行政やNPOだから対価は不要という訳ではなく、税金という形で間接的にも対価を支払っている。ハードの整備に主軸を置かない街づくりは、他の事象も鑑みると社会の現状に即した考えといえるが、果たしてそれが一つの分野となるのか。それがボランティア以上の価値を生み出すことができるかが重要であると言える。
- 感想投稿日 : 2010年8月7日
- 読了日 : 2010年8月7日
- 本棚登録日 : 2010年8月7日
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