どうやって読んだらいいのかわからない名前が増えてきている。例に上がっているのが以下の名前だ。
1.「苺苺苺」
2. 「紗冬」
3.「愛夜姫」
4.「手真似」
モクモク羊は、「いちごたくさん」、「さゆ」、「あやひめ」、「てまね」と思ったが、甘ちゃんだった。正解は、「まりなる」、「しゅがあ」、「あげは」、「さいん」。
著者によると、このような名前を付ける親は一部の特定の人たちに限らない。むしろ、日本語の歴史をたどると「無理読みは伝統だった」と述べている。
今でもキラキラネームに対して批判している人はいるが、今に限ったことではなかった。古くは「徒然物語」の著者の吉田兼好や、江戸自体の国学者の本居宣長が痛烈に批判している。
明治維新で文明開化が起こった時、西洋から入ってきた概念や物に対してそれ相応に見える漢字を当てて新しい日本語の一丁出来上がりで大量生産してきた。
人命に関してもなかなかきらりと光る名前がある。1959年に出版された『名乗事典』(荒木良造編・東京堂出版)を著者は紹介している。その中で男子と女子でうーんと思ってしまう名前が挙げられている。その中でも特に印象に残ったものを挙げる。男名では、松と書いて「ときわ」と読む。女名では、日露英仏と書いて「ひろえ」と読む。どちらも難易度が高い。
著者が「漢字」から「感字」へとして漢字を文字としてではなく感覚でとらえていると、漢字の調査をしている笹原宏之早稲田大学教授の分析を交えながら指摘している。「感字」とは恐れ入りました。
「感字」で子どもの名前を考える親がこれからも出てくるだろうから、もっと驚くような名前が登場してくるに違いない。子供が非公開度まっしぐらの札付きの悪になるか、それとも森鴎外の子供たちのようにキラキラネームに負けることなくいろいろな分野で活躍する人間になるか、子供も大変な時代を生きているなあ。
- 感想投稿日 : 2015年5月18日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2015年5月18日
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