ニッポンの音楽 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2014年12月17日発売)
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『邦楽』から『Jポップ』へといつの間にか名前を変えたニッポンの音楽について、Jポップが生まれ落ちたメルクマールを軸にそれ以前と以後に分けて45年間を通覧するという本である。

その手法として本書では45年間にわたる国内の音楽史を紐解くという通史的な手法は取っていない。
主に60年代末から70年代。70年代末から80年代。80年代末から90年代。90年代末からゼロ年代、そしてテン年代とされる現在まで、それぞれの10年間(ディケイド)において、『ニッポンの音楽』に少なからぬ影響を与えたであろう『主人公の物語』として、各年代における『ニッポンの音楽』の在り様、変容を通覧するという作りとなっている。

面白いことに、というかメルクマールとしている以上狙いもあるのだろうが、この40~45年に渡る通史の中のちょうど真ん中に『Jポップ』なるものの言葉の誕生が登場する。
したがって『Jポップ』前の20年、その後の20年という括りで『J』なるモノが思想、文化になにをもたらしたのか?文化的条件が出そろったから『J』になったのか?そのあたりに興味があり、本書を手に取ってみたのである。

著者は中田ヤスタカに代表される「内」と「外」をリアルタイムで同期させるオールインワン型のミュージシャンの登場をもって、リスナー型ミュージシャンの完成系、そして「内」と「外」という文化的枠組みと「過去」と「現在」という時間軸の消滅によりJポップは葬られたとする。

ここにボクは『ニッポンの音楽』には描かれていない、日本的変容を遂げながら、時代時代を奏でている『日本の音楽』の存在を再認識せざるを得ない。
あれだけ業界、聴衆を巻き込み、90年代に空前の音楽産業の好況を招いた『Jポップ』がその終焉を迎えたからといって、日々リリースされていく現在の日本の音楽は、ではいったいなにものなのだろうか?

J-WAVEがそのポリシーを曲げてまで国内の音楽を内包化させるために生み出した方便である『Jポップ』も著者が定義する『ニッポンの音楽』としてのJポップは終焉を迎えたのかもしれないが、相変わらず市井に『Jポップ』という言葉は存在する。

『Jポップ』という概念もまた、極めて日本らしい日本的変容を重ねて大衆化されてしまったからこそ、著者は終焉としたのではないだろうか。

そういう意味では、本書の対象はボク的には非常に関心を持ち続けてきたアーティストであり、読み物としてはとても面白いが、日本の音楽における歴史観・文化批評という面では非常に偏っていると思わざるを得ない。

本書であえて触れられていない、昭和歌謡やフォーク・ニューミュージック(ともに一部触れられてはいるが本書の本質ではない)、それに昭和のアイドル歌謡とバンドブーム。昨今のアイドルグループ全盛等々の大衆音楽の位置づけはどうなのか?

そしてボクがなにより気になる日本語の節。
5・7・5・7と気持ちよく詞が沁み込んでくるときの日本語の節の特徴。
古代万葉の時代から綿々と受け継がれてきた、日本という土地と季節と風景に裏付けられた日本独自のリズムと抑揚が、どのように現在の日本の音楽に受け継がれてきたのか?
時代時代の「外」の文化を取り入れた日本的変容がどういう形で表現されてきたのか?

むしろ、著者が『ニッポンの音楽』の対象としていない、日本の音楽におけるメインストリームである大衆音楽のアーティストが歌い、奏でる音楽と『日本』という関係性の分析こそ、『日本の音楽』というべき文化批評足り得るのではないだろうか?

といっても、「新書」という限られたパッケージであるので、限られた字数で特徴的なモノをまとめないと中途半端に終わってしまうというのもよくわかるのだ(笑)
そういう意味で、前書きである意味言い訳をしてるんでしょうけど(笑)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文化・思想
感想投稿日 : 2016年3月26日
読了日 : 2016年3月22日
本棚登録日 : 2016年3月22日

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