腐敗した官僚の勝利、官僚に祭り上げられたスターリンのボナパルティズムが革命の失敗を意味する。建前として共産主義をとっていたとしても、資本主義型の収奪ヒエラルキーが組織されており、それで運営される「共産主義」はその理念と大きく矛盾する。そして、その組織の指導者は官僚に都合のよい人物が選ばれ、―そのスターリンは歓声の中で指導力を発揮し―腐敗した官僚主義がはびこる。理念との矛盾する組織運営がソ連を崩壊に導いていると警告する。
本書ではソ連がいかに傾いているかという事の証明は、主にデータとでなされる。バーナードショーが称賛した如く、大恐慌の中全体の数字だけ見れば安定した成長を遂げていたソ連。しかしこの時点で、客観的に問題が指摘できるまでに腐敗が進んでいたのだ。
トロツキーが「経済の民主化」を要求している点を強調しておく。共産主義=スターリン主義というイメージが支配的であるが、そういうことではないとわかる。共産主義のためには「民主的」と言う意味での自由な経済が必要だというのである。
そして「経済の民主化」と言う言葉は、現状の自由主義経済に対する最も根本的な批判になるのではないか。なぜなら「経済の民主化」とは自由主義も理念とするところであり、しかも、ほとんど達成されていないものであると私は考えているからだ。
何故理念と矛盾する現状が存在するのか。そしてその矛盾が体制を崩壊に導いていくのではないか。トロツキーの批判はなお鋭い。
本書を読むにあたり常に念頭に在るのは「ソ連は何故崩壊したのか」ということである。崩壊を導いたのは共産主義の理念ではなく、むしろ組織の問題であると本書からは理解される。つまり、トロツキーが明らかにするソ連の「失敗」は、どんな理念をもつ国にもその可能性があるということである。私としてはこの視点が、(共産主義ラブとか資本主義ラブとかそういう話ではなく)イデオロギーを超える、ということの意味なのではと思うのだが。
- 感想投稿日 : 2011年8月5日
- 読了日 : 2011年8月5日
- 本棚登録日 : 2011年8月2日
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