明日を拓く現代史

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  • ウェッジ (2013年4月1日発売)
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歴史に関する本は好きですが、最近から数十年間の現代史については、あまり読む機会がありませんでした。今回、この本を読んで、長年の私の疑問であった「なぜ英国から米国への交代が起きたのか」、そして「どのような背景・事件が契機で行われたのか」が明確になり、私にとっては記憶に残るものになりました(第5、6講)。

特第二次世界大戦では同じ連合国の仲間として戦った、米国が英仏連合軍をスエズ動乱において、撤退させたという事実は初めて知りました。また、インドと中国には長い争いがある様ですね。中国がチベットを併合した時に、ダライラマがインドに亡命したという経緯も、この本を読むことで理解できました。

私の生まれた1964年こそが、日本が先進国としてOECDに仲間入りをでき、事実上GATTにおいても一員と認められた記念すべき年である(p49)こともわかり、良い時代に生まれた私は生まれたなと実感しました。また、日本の食料自給率が低い別の理由(朝鮮と台湾に30%依存していた、p75)も私なりに納得しました。

この本の著者である谷口氏は、所謂、歴史学者ではないようです。歴史以外にも他の分野を学んで極めた方が書かれた歴史に関する書物は、面白いものだと再発見した嬉しい気分です。

以下は気になったポイントです。

・東京オリンピックにおいて、ブルーインパルスがみせた曲技飛行(5機が5色のスモークを吐いて5輪マークを形作る)は、あとにも先にも、世界に実例がない(p31)

・2008年の北京五輪とは異なり、東京オリンピックの聖火はどこでも(ビルマ、タイ、マレーシア、フィリピン、台湾、沖縄)歓迎された(p42)

・海軍や陸軍の飛行機を設計した人々は、国産旅客機YS11を開会式ギリギリに間に合う8月に運輸省の形式証明を獲得した、YS11の初任務は聖火を運んだ(p46)

・東海道新幹線、東名・名神高速道路は、世界銀行から借金して建設資金を賄った、これを全て返したのは、1990.7である(p46)

・1964年には、日本はIMFのいわゆる「八条国」となり、OECDにも加盟を許されて、先進国クラブの一員となる、GATTにおいて対日35条適用を欧州国・英連邦諸国が撤回したのも1964年、それ以前に日本を認めていたのは、米国・カナダ・西ドイツ・イタリア・北欧諸国のみ(p48、72)

・朝鮮戦争が起きた当時、少なくない日本人が、日本は共産化の一歩手前と考えていて、中には九州をモスクワに差し出そうとする動きさえあった、これを考慮しない限り、戦後の米国がなぜ日本を西側陣営に包摂しようとしたか理解できない(p63)

・中国は多くの国にフランチャイズ方式で孔子学院を展開させている(米国:350、日本:19等)が、インドには2か所、インドへの中国からの投資は34位(日本は3位)である(p92)

・1950年に中国はチベットを併合、チベット人の蜂起が鎮圧された後に、多くのチベット人がインドへ逃れた、当時24歳のダライラマ14世も含まれる(p98)

・朝鮮戦争で一緒に戦った、英国と米国は、1956年に起きたスエズ危機で、まるで仇敵同士のような対立を演ずる、これが戦後の米英関係を理解する上で欠かせない大事件(p104)

・スエズへの英仏軍の侵攻に対して、米ソの提案に基づく停戦勧告が国連の緊急総会でなされた、またカナダからPKO創設と派遣の提案がでた、米国は石油禁輸、IMFの借款停止に動き、英国は資金繰りが苦しくなった、これに英仏は屈した(p107)

・スエズのコントロールを喪失した英国は、1966年、インド洋に配備していた軍事力も引き揚げる、インド洋のディエゴ・ガルシア島を購入後、米軍に長期利用(地代なし)させた(p118)

・フランスが、ベルギー・西ドイツ・イタリア・ルクセンブルグ・オランダと欧州共同体の基礎となる「ローマ条約」を締結したのは、スエズ危機の翌年の1957.3、英国は誘われていない(p120)

・第二次世界大戦とは、公式には、対ファシズム戦争だが、裏側には、英国主導のパクス・ブリタニカを、米国が自国主導のパクス・アメリカーナへ権力的に作り直そうとした戦いであった(p127,133)

・IMFは短期、世界銀行は中長期の開発を手掛けた、そして、大英帝国が世界に巡らせていた1932年以来維持してきた特恵関税ブロックを破壊(1942年、武器貸与法)する中から生まれた、2012年には1964年以来に世界銀行の年次総会(3年毎)が東京で行われた(p129,142)

・1941年当初、アメリカは南アフリカに英国の対外資産であるゴールドを取りに行った、さらにカリブ海とニューファンドランドの英国基地の借用権を得た(p145)

・1971年のドルショックが、グローバル化の最大の原因である事件である、ドルを完全なペーパー通貨として、ゴールドとの関係を切断した、これが1971年から四半世紀続いた米国の力の源泉(p159)

・ソ連は、自国通貨建ての国債を大量発行して、日本等に買わせることができなかった、なので、軍拡費用は、自国民と圧政下においた他国民の所得を召し上げることしかできなかった(p162)

・大躍進(1958年から数年間)において、少なく見積もって 2000万人、最近受け入れられている数字では、4000万人(この期間の人口減少数)が飢餓に起因する病気、体罰、拷問で死亡した(p184)

・河南省では、食い扶持・種もみ・飼料のすべてを上納し、食堂を停止した後、人民公社の社員は、1)家で炊事不可、2)野草を採ってはいけない、3)村外へ逃げてはいけない、という規律が定められた(p185)

・三菱自動車の荒井氏は、現代自動車を親身になって指導した(p241)

・JISマークで知られる日本工業規格は、1945年12月に占領軍当局の総司令部が、主だった日本人経営者を集めて製品標準化を達成させるために作ったもの(p251)

・日本の部活は、勉強一色の中国から来た高校生を魅了した止まない、キラー・アプリケーションであった、米英国にある学校のクラブ活動は、競技者養成を主眼とするもので簡単には入れない、地域のクラブでは、専門の人間が指導にあたる(p261)

・行事だらけの日本の学校生活も、仲間づくりに恰好の場となるのも特徴、小学校から中学、高校になるにつれて学生が自主的に運営する(p261、262)

・米国の16歳に見た自由(車の免許が取れる)は、15歳と12か月までは、籠の鳥でしかない事実があることを見るべき(p264)

・マンガは、日本社会のセキュリティーと、それが可能にした子供の行動の自由が比類ないまでに保障されていたからこそ、市場を勝ち取れた(p265)

2013年8月4日作成

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2013年8月4日
読了日 : 2013年8月4日
本棚登録日 : 2013年8月3日

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