その時歴史が動いた 4

制作 : NHK取材班 
  • 中央出版 (2001年1月1日発売)
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感想 : 3
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今回のシリーズで最も印象に残ったのは「ミッドウェー海戦」にまつわる内容でした。日露戦争での日本海海戦に勝利してから負けなしの日本帝国海軍が驕っていて、アメリカ軍の実力を過小評価していたことが根本原因で、そのために事前の想定演習でルール通りに判断しなかったり、当日の索敵活動を軽減したり、臨機応変な対応(爆撃機の爆弾の数度にわたる変更)があったのでしょう。

さらに、その結果を隠し続けて、嘘を国民に流し続けたことが、その後の戦争の結末を悲惨なものにさせたと言えると思います。成功体験を次に活かすのが難しいのは、今のビジネス活動においても強く思いますが、その考え方はどれにも共通することなのだなと思いました。

現在は失敗に学ぶ重要性も認識されてきているのは良いことだと思っています。

キリシタン禁制/秀吉・ヨーロッパと対決す

・イエズス会は、武器・火薬・生糸・珍しい南蛮渡来の文物に至るまで、貿易権を与える代わりに、戦国大名にキリスト教を布教していった(p32)
・大阪高槻を支配していた高山右近は、熱心なキリシタン大名として知られている、彼は領民だけでなく他の大名(黒田孝高、蒲生氏郷)にも布教活動を行った(p39)
・日本でキリスト教の布教開始以来の最大の殉教事件に、イエズス会は武力征服計画を立案したが、その直後にフェリペ2世が死去した(p54)
・ヨハネパウロ2世(ローマ法王)は2000年に、大航海時代から大布教時代に至る活動において、誤るべき活動があったことを演説した(p58)

黒船来航/日米交渉ここに始まる

・ペリー来航4日目(6月6日)に、日本が防衛ラインとしていた観音崎と房総半島富津岬を結ぶラインを突破した(p75)
・大統領からの親書は、1)漂流しているアメリカ人の保護、2)アメリカ船への水・食料・石炭の補給するための開港、3)交易、であった(p79)
・アメリカではペリー来航の4ヶ月前に、大統領がフィルモアからピアースに代わり、穏健な外交姿勢に転換していたので、戦闘能力の高い最新鋭の軍艦をとられ実弾発射も禁じられていた(p85)
・御三家は政治に介入できないようにしていた前例を破ってまでして水戸斉昭を幕府の海防参与にして、お台場建設(大砲をつけた海上基地)を建設した、費用は75万両(230億円)であった(p87)

奇兵隊決起せよ!/高杉晋作挙兵の時

・高杉晋作は明倫館という塾で、人間の能力は地位や身分とは関係がないこと、能力を伸ばすには、やる気を起させることが最も大切であることを知った(p119)
・松田松陰が教師であった松下村塾からは、1)友情、2)才能を発見され伸ばされた、3)行動力、4)情報教育、を学んだ(p126)
・1864年6月、京都池田屋で新撰組に長州藩士が切り殺された事件に対して、長州軍が京都に進撃、幕府方の薩摩・会津両藩と蛤御門で激突、その後に第一次長州征伐につながる(p135)
・長州から砲撃を受けた4ヶ国(米仏蘭英)が停戦条件として求めたのは300万ドル(現在900億円)の賠償金を求めてきた、交渉の結果、幕府への請求となり8月に講和条約締結(p138)
・高杉晋作の最初の呼びかけに応じたのは、松下村塾の後輩である、伊藤博文率いる力士隊(10数人)のみであったが、奇兵隊等も加わり3000人になった(p142)

ミッドウェー海戦の悲劇/日本空母部隊隊滅の時

・日本海軍は日本海海戦でロシア艦隊に大勝して以来、一度も負けていない、そこに真珠湾で大勝利をしたので驕りの気分が生まれた(p171)
・ミッドウェー付近には敵空母はいないという先入観に基づいておこなった、おざなりの偵察、この空白の範囲の中に敵空母が潜んでいて日本軍は致命的な見落としをした(p177)
・赤城、加賀、蒼龍は被弾炎上して、一瞬に沈没をした、残りの飛龍も空母ヨークタウンを大破させたが、ついに沈没した(p194)
・ミッドウェーにおいて、空母4隻と巡洋艦1隻、200機以上の航空機、120人以上の優秀なパイロットを失い、二度とその打撃から立ち直れなかった(p194)

予ノ判断ハ外レタリ/ソ連対日参戦の衝撃

・昭和19年以降には関東軍の兵力派遣が本格化し、7月には戦車部隊がフィリピンのルソン島へ、多くの武器とともに30万もの兵士が太平洋戦線へ展開、昭和20年には本土防衛のために10万人以上の兵士が九州、四国へ送られ、精鋭部隊はいなくなった(p219)
・ポツダム宣言はソ連が参加しておらず、ソ連には和平交渉の仲介を受ける気持ちがあるものと政府は判断したので、ソ連の態度を見極めてからポツダム宣言への回答を決定した、これを黙殺と発表したが、アメリカは拒否と受け取った(p230)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史・世界史
感想投稿日 : 2012年4月6日
読了日 : 2009年11月3日
本棚登録日 : 2012年4月6日

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