江戸中期の京都で活躍した絵師・伊藤若冲。
若冲の絵は、生誕300年に達した今でも数々保存され、私たちの目にも
触れることは可能(昨年の展示会には行けず残念...!)ですが
若冲というその人物について残されている史実はごく少ないといいます。
こちらはその少ない史実に脚色を加えた若冲の物語です。
ここで描かれている茂右衛門(若冲)には
心の弱さを表に出すことのできない人の弱さと優しさが隠れていて
恨みや怒りも面と向かってぶつけるような人ではないようです。
けれども弁蔵には、それがかえって腹立たしかったのでしょうね...
それでも弁蔵は、醜いほどに美しい若冲の絵には魅入られてしまっていた...。
本当の茂右衛門に、憎むべき人、憎まれた人がいたのかどうかは
わかりません。それでも心つき動かされる何かがあって描いていたというのは
あるだろうなと思いました。そしてたった一つ、とても残念に思えてならないのが
ここに登場する茂右衛門さんに、私は負のイメージを抱いてしまったこと...。
それが存外強烈に心に残っています。
だからいつの日か、伊藤若冲の絵を観る機会が訪れた時には
"そんな気持ちで描いていたのだろうか.."という目で観てしまうかも。
そう思うと、これには気持ちの整理も必要かしらと痛感しています。
茂右衛門の一番のよき理解者は、"若冲"という号の名付け親でもある
大典高層でしょうか。
『老子』第四十五章の一節から名付けられたのは史実通りのようで
「大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮らず」
すなわち「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である」
この意味を理解するのは少し難しいです。
わかりそう..なんだけれども雲をつかむよう...。
それでも『老子』第四十五章を全部読んでみると、そこから伊藤若冲という
絵師の姿がなんとなくながら見えてくるような気がしました。
- 感想投稿日 : 2017年10月10日
- 読了日 : 2017年9月17日
- 本棚登録日 : 2017年10月6日
みんなの感想をみる