民衆の芸術 (岩波文庫 白 201-2)

  • 岩波書店 (1953年4月5日発売)
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ここで言われる労働は、
決して現資本主義社会の中での「平日」「休日」の区分による「労働」と「余暇」の話ではなく、
生きることすべてに関わる、即ち時間に関わることなのだろうと思う。

●以下引用

「そして労働者は労働をするに必要な力を維持するため、パンを得ようとして日々の苦闘のうちにその力を費した。かくて日々に悲しみをくりかえす生活をしている。働くために生活し、生活するために働いているのであって、あたかも日々のパンが退屈な生活の唯一の目的であり、退屈な生活が日々のパンをうる唯一の機会であるかのようだーダニエル・デフォー」

もしあらゆる労役が厭わしいものだとするならば、今度はその暇をもって何をしようとするのだろうか

これらの品はその当時にあっては、壊したり、よごしたりはしないかと心配などする必要なく用いられた日用品であって、珍しい品物ではなかった。だが、われわれはこれを「素晴らしい」と呼ぶのである

私の理解する真の芸術とは、人間が労働に対する喜びを表現することである。その幸福を表現しなくては、人間は労働において幸福であることはできない

幸福の真の秘密は、日常生活のあらゆる瑣事にたいして純真な関心をもつということ、その仕事を賤業者の手にゆだねて、無視するのではなく、それを芸術をもって高めることにある

為す価値があり、それをすることが愉快であるような労働をすべての人々は為すべきであるということは正当にして必要なことである。しかしてかかる労働は過度に疲労をあたえたり、苦悩をあたえたりしないような条件の下に為さるべきである

彼らの労働はそれ自体で為して楽しいものでなければならぬ

これは所謂「民衆」が平凡な日々の労働のうちに作ったのである。これらの作品を尊敬することにより、それを作った人々をわれわれは尊敬するが、その人々はこういう人びとであった。その労働は彼らにとって退屈であったと諸君は考えるか

少なくともこれらの人々は、仕事をしている間は、不幸ではなかった。そして彼らもわれわれと同じくほとんど毎日、一日中、働いていたのである。

私の理解する眞の藝術とは、人間が労働に対する喜びを表現することである。その幸福を表現しなくては、人間は労働において幸福であることはできないとおもう

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感想投稿日 : 2014年8月16日
本棚登録日 : 2014年8月16日

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