まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫 も 4-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (1988年3月1日発売)
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こういう人を「おとな」というのだと思う。

以下引用

目的に向かって一直線というよりは、多少は目的に達するのがおくれても、適当にわき道に入り、その道草を楽しんでいて、結果的には目的に達してしまうほうが

じぶんがさぼっていないとき、サボりのためにたくさん働かされてるなんて考えるより、そのうち自分がサボることもあると思っていたほうが、気持ちにゆとりが持てる

あいつがサボっているのに、おれが働くのは損だなどと考えるものだから、サボりが増えていって、

クラス全員が熱中したりするより、一人や二人はそれに背を向ける人間がいた方が、クラスの雰囲気が一方にかたまらないと思う

たいていは、ドジなところが多少はほほえましくもあって、その人間の愛嬌になったりする、ドジなところこそ、人間の根源にかかわっている

心のどこかにドジを秘めてゐて、そこで通じ合わなくては心はふれあわない

人間の在り方に絶対的にいいことも、絶対的に悪いこともない、かならず善と悪はもつれている

ぼくは大学にいるので、まわりには数学やら文学やらをやっている連中が多い。ところが、そうした連中は、あまり規則的に勉強しているように見えない。もちろん、人いろいろで毎日きまって勉強するのもあるが、どちらかというと少数派

たいては、いったん熱中しはじめると、三日間ぐらいねなかったり。しばらくするとボケーとして山ばかり眺めてゐたり


辛抱が足りないようだが、またしばらくすると、すっかり見限って次のモンダイヘ


毎日規則的に勉強することを言いすぎるために、ものごとに熱中する機会を奪っている

精神労働は規則的にやるのにあまりなじまない。それではただの鍛錬になる。一定時間を過ごすだけの苦行になる。勤務時間の消化

勉強は時間でははなれない、机の前にいるかどうかでははかれない。山を眺めてゐようが、頭を働かせているかどうか

数学者-数学を考えるのに草原にン\寝転がって、歩きながらというタイプも多い

効率はさまざまだが、本当に集中して頭を使うのは、一日に二時間ぐらいが限度

結局は、時間よりは密度。一日に6時間なんてのは、集中していない

どうしてもいやなら、目に触れないようにする手もある

いろんなことを知ってゐる人間がいる。ものおぼえのよい人間。本当のことを言うと、それはたいしたことではない。本を見れば書いてある

たくさんのことを知ってゐる人間に会うと、自分がかなわないような気分になりやすい。とくに、若いあいだは。歳をとると、ものしりでも、たいして役にたたないことに、安心する

あたまの回転が早いと頭がよさそうにみえる。頭がよくまわる秀才はごろごろいるが、それもどうということはない。ものがわかるのいゆっくりとした方も悪くない

ゆっくりとわかるのも、一種の才能のように想う。

他人のように勉強ができないとしても、それはたいてい他人のそのタイプでの勉強ができないといううこと

自分を楽しんで生きている人は、他人がみてもおもしろい

若い間は、普通の意味で才能があったり、普通の意味で容姿がととのっていたり、性格が良かったりした方が、楽に世がわたれる。しかし、一生がそうというわけでもない

他人から低くみられているとしても、その自分を出して、自分にしかないタイプで進んだほうが、自分の才能はよりよく開花する。自分の性格をかくすることなく他人とつきあったほうが、他人がきみをもっと認めてくれる

向上心-優等生という型へと向けて、その型に合そうとする努力

自分よりもだめな人間からどれだけ学ぶことができるか

いま苦労しておけば、将来に楽が出来るといったことを云う人がいる、ぼくはこの言葉が嫌いだ

ずっと苦労してその計画が達成できて、満足している逃げなんてなりたくない

現在の苦労が将来の安楽のためなどとは、絶対に思ってほしくない

山を登るのに、汗をかくこともあろう、しかしそれは山頂をめざすためとばかり思うより、登り道のあれこれを汗を流しながら楽しむほうを好む

→これも「こころがけ」かな。正位心。妙、言語滅行。こころではなく『芯』。

ちょっと目をそらせば、そこらじゅうに「道草」がある。どれだけ忙しくても、それをこなすことに終止するんではなく、寄り道する「正位心」を持ちたい


人生は山登りではない。山頂なんて定まっていない。かりに山に似ていても、となりの山に方向転換することだってある

かりに五年後に死んでも、この今を充実して生きるべき

不確実な未来の安楽のために、現在があるのではない

役立てるために、いま勉強しているなどと思わなぬこと。現在の生をよりよく充実させること

あとで楽をするためではなく、現在に張りのあることをするのだ

戦争で未来がなかったので、いくら勉強したところで、役に立つ可能性は少なかった。それだけに今やっておくよりほかないという気分

現在を充実して生きることのかなたにしか、よき未来は見えてこない

歳をとってもこれからなにかをしようとしている人は、過去になにをしたか、あまり目をむけない

コースをもうけて、最初の状態で、そこからさきが定まるように考えたがる

悩むことを避けていては、どんどんすり減る

人間は本音と建て前の間をやりくりしながら生きている。そこのふところが広いほうが人間としても奥行が深くなる

目指すのは自分であること

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感想投稿日 : 2017年9月7日
本棚登録日 : 2017年9月7日

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