「本に答えは求めない」 – 家入一真『さよならインターネット』発売記念インタビュー[前編]

これまで様々なビジネスやサービスを立ち上げ、現在はインターネットを通してクリエイターや起業家が不特定多数の人から資金を募ることができるクラウドファンディングサービス「CAMPFIRE」代表の家入一真さん。

家入一真さんは、実はブクログを2004年に立ち上げたいわば父親という存在なのです。
2007年に出版した『こんな僕でも社長になれた』(ワニブックス)では、ひきもり少年から自身の立ち上げた会社を上場させたという話を、2015年に出版した『我が逃走』(平凡社)では、成功の後にカフェを複数経営することになるが結果的に成功で得たお金を失ったり都知事選に出馬したり、さまざまな経験が書かれている。
前編では生みの親である家入一真さんにブクログを立ち上げた経緯や自身の読書スタイルについて、後編では先日出版された『さよならインターネット – まもなく消えるその「輪郭」について』について語ってもらいました。

インタビュー、文:大西隆幸[ブクログ] 撮影:鈴木渉

―会社やカフェをつくられたり、ウェブサービスを立ち上げたりと様々な活動をされていますが、現在はどういう活動がメインですか?

いくつか代表や取締役をやっている会社はあるんですけど、今はCAMPFIREの代表として力をいれています。
2011年に立ちあげてしばらく離れていたのですが、今年はじめに戻ってきました。戻ってくる間は、BASEなどのいろいろなウェブサービスなどを立ち上げたり、都知事選に出たり、リバ邸というシェアハウスを作ったり、わりとプラプラしてましたね。

「これ本棚っぽいなぁ!」という偶然からのスタート

―元々ブクログを作られたきっかけは?

ブログサービスの画像データをひっぱってくるプログラムを作って遊んでいたんですよね。それで、ミスって横幅がすごい細く表示されて「あ、ミスった戻そう」って思ったんですけど、ふとした瞬間に「これ本棚っぽいなぁ!」て。気づきはそんな感じで、そこがスタートです。
もともと本が好きでしたし、本にまつわるサービスを何かやってみたかったんですよね。そこで「あ、これインターネットで本棚再現できるんじゃないの!」って思いました。

背表紙ビュー
ブクログ本棚の背表紙ビュー

あ、でも今は背表紙ビューなくなっちゃんだよね。よくよく考えると、ただ画像の横幅を縮めて背表紙っていうのはあまりにも雑だったなと思います(笑)

本棚っていうものは、その持ち主の人格が見えると思うんですよね。ひとの家に行くと絶対本棚を見ます。
「あぁ、この人どういう本読むのかな」というところもそうだし、本の並びとか、「あっ、この本のとなりに、この本置くんだ」とか。
実は、本棚の手前と奥で二重で使ってて、「奥はなにが入ってるのかな?」とか。「奥にこんな本隠してんじゃん!」みたいなのがあったり。
そういうのを含めて、本棚に性格って出るなぁと思います。それをもっとネット上で可視化してあげたら、面白いんじゃないのかなと思って。

本に答えは求めない

―『さよならインターネット』の中でも、いろいろな本のことをよく言及されてましたが、月にどれぐらい読まれますか?

この数ヶ月はあんまり読めてないですけど…。読むときは、めっちゃ読みますけどね。今は月に3冊くらいでしょうか。

―どういった時に本を読まれるんですか?

寝る前が多いですね。会社から家に帰るとだいたい23時とかなんですけど、そのあと寝るまでの間に読んでるという感じですね。
3時間ほど集中して読みます。

―どんなジャンルの本を読まれていますか?

本屋に行くのがすごく好きなんですけど、本屋行ってもあんまりビジネス書のコーナには行かないです。どっちかっていうとビジネス書よりは、社会学や哲学、宗教学の本などをよく読みます。
昔は読んでたんですが、小説も最近あんまり読まなくなっちゃいましたね。
自分が元々仕事している分野の本を中心に読んじゃうと、本に答えを求めてしまいそうで、それよりかは全然仕事に関係無い本を読んだほうが、遠回りのようで実は本質的な答えに近づけるのではないかと思っています。

―「さよならインターネット」のなかでも何度かそういう話が書かれていましたね。

あんまり正解を求めすぎてしまうと、…自分で自分の可能性や選択肢を狭めてしまうことって多々あると思うんです。
こういう話する時に、よく話すのが、アサダワタルさんという方が書いた『コミュニティ難民のすすめ』という本がありまして。

 

アサダワタルさんは、自分の家を解放してプライベートとパブリックの境目を曖昧にするという「住み開き」という活動や、障がいを持たれた方のための活動、アートや音楽など様々なことをやられているんですね。僕もそうですが、そうやって「メインコミュニティ」みたいなものを持たずに様々なコミュニティを横断して活動している人は、往々にして居場所の無さを感じて不安になったりすることも多いんです。でもこの本ではそう言った「コミュニティ難民」をむしろ勧めている。そうやってコミュニティとコミュニティをつなぐ人こそが、これから必要なんだと。

この本を読んだ時に、すごく救われた気持ちがしました。自分自身、いろんなことをやってきたし、いろんな会社を作ってきたし。
「一言で自分自身を説明しろ」って言われた時に、僕、できないんです。なんか、これやってこれやってこれやって…ていう言い方も無粋だし、かといって、「まあ、いろいろやってます」なんていうのも、あまりにも雑だし。
自分の居場所みたいなものが、どことなくないと感じてたんですけど、『コミュニティ難民のすすめ』を読んで「あ、これで良いんだなぁ」と感じました。

要は、コミュニティとコミュニティを橋渡しする人みたいなものって、これからもっと増えていく・必要になってくるだろうし、そのためには自分の本業としていること、自分が興味持っていること以外の振り幅を持たないと、やっていけないんだろうなと思います。振り子のようなもので、その振り幅が「表現の幅」になっていくというか。

―よく本屋に行かれるっていうことは、紙の本を結構買われているのですか?

一時期、Kindle最高!とか言ってKindleに全部移そうと思ったんですが、なんだかんだ結局また紙の本を読んでることも多いですね。

体験と紙の本ってリンクするので、読んだ本をもう一回読み直してるときに、「このページで、雨降り出したなぁ」みたいなことを思い出すんですよ。「これなんか食べながら読んでたなぁ」とか。においとか光景とか。29ページ目でコーヒーこぼしたな、とか(笑)。

そういう感じで、紙の本ってのは記憶を定着させる装置なんだと思います。まあ、それは副次的な機能ですけど。

―それ以外に紙の本や書店がいいなぁと思う部分は?

あとは本との出会いですよね。欲しいのがあれば別に名指しでKindleで買ってもいいですけど、本屋に行ってジャケ買いみたいに買うことあるじゃないですか。Amazonで見てても、「この本を買った人はこの本読んでます」みたいなものが出ますよね。「さよならインターネット」でも書いてますけど、「なんか違うんだよなぁ」ていうのがあるんですよ。

「別の本屋で買って既に読んでるし」とか、同じことが書かれているから読まなくていいじゃんみたいな本がおすすめされたり。どっちかっていうと、「この本を読んでる人は、こういう本は絶対に読みません」みたいな逆レコメンドみたいなものを出してくれるんだったら、僕は使ってみてもいいかな、と思うんです。

「偶然の出会い」というのが、やはりまだまだAmazonだと少なくて、そうなると本屋でリアルな本を買うっていう方向にいっちゃうって感じですね。

―買った本は、本棚に置かれてるんですか?

家に本棚がありますね。

家入一真

そうですね、どれぐらいかな。これと同じような(後ろにあるラックを指しながら)、これの上下段全部使っちゃってますね。でもそれと同じくらいの本棚が、友人と借りてるシェアオフィスでもあって、そこにも置いています。あと、いろいろな会社に分散して置いてますね。

どっちかっていうと、僕の本を誰かが勝手に読んで、回ってるのが良いと思うんですよね。

社会学や宗教学を読む理由

―よくお読みになられるジャンルが社会学とか宗教学とのことですが、どのように出会われてるんですか?

一冊の本を読んでいると、中に参考文献とか出てくるじゃないですか。そこから派生してですね。
あと、さっきあんなこと言っといてなんですけど、Amazonで買った本の「これ買った人はこれ」ってとこからもいく時もあるし、本屋で見つけるというのもあるし。そこはなんか様々って感じです。
例えば仏教に興味持ち始めたら、「はじめての仏教」みたいな本を買うんですよ。結構、入門書みたいなの好きなので。入門書だったら最近、池上彰さんが世界史にしろ、日本史にしろ、宗教にしろ、いっぱい出してるので、あぁいう本ってすごい有用だなと思うんです。そういう入門書から入ってもいいですね、そこから少しずつ詳しくなっていくというか。
哲学も「初心者のための哲学全史」みたいな。古代の人から、最近の人まで、初心者向けに網羅した本みたいなのあるんですけど。そういうのを読んで、全体を把握してから個別に深掘りしていく、ということはよくやります。

―いろいろと知りたいっていうのは、ご自身の知的欲求があってのところですか?

うーん、知的欲求なんですかね。
油断すると慢心しちゃうというか、すぐに調子に乗っちゃうんですよね。自分がインターネットとかビジネスとかマネージメントとかなんでも知ってるぜ、みたいな。
けれど、自分と全然違う業界や世界の本を読むことで、自分の知識が相対化されるというか、「いや俺、なんにも知らねぇな…」みたいに感じるんですよ。

読むほどに、生きてるのが申し訳なくなるぐらいに自分の知識の無さが恥ずかしくなってくる。本当に世界は自分の知らないことだらけなんだなぁと思います。
そうやって本を読めば読むほど、一番最初に言った「これが正解です!」みたいなことが言えなくなってくるわけです。
本を読むと、いい意味で自信が無くなってくるんですよ。そういう役割が本にはあるのかなぁと思います。

―いろいろな会社をつくったりカフェをやってきた中で、本を読むことで、自分の考え方が変わった部分はあったりします?

あぁ、全然あると思いますよ。
生きていく中での考え方や哲学の部分はすごく影響をしていて、それによって行動とか考え方が変わっていったってことは、すごくあります。

例えば、宗教は最古の組織形態であるって言われるのですが、それだけ長い期間、いまだに人の心を掴むってことは、根本的になにかしら人間は救いを求めているのだと思うんです。そういったものを学ぶことはきっと、ビジネスや会社組織のマネージメントを含めて、すごく有用な部分があると思います。やっぱり人なんで。人の感情を取り扱うので。

でも、いわゆるビジネス書にそんなこと書いてないんですよ。基本的にはやっぱ、感情とどう向き合うか、みたいなことはあまりビジネス書には書いていないと思うんですよね。
だから、やっぱりいろいろと寄り道や振り幅があるほうが、結果的にいろんな風景を知ることができるというか。直接的に答えを求めちゃいけなんだなぁ、というのは、なんとなく思います。

本を読まないとダメだとは思わない

―読書って行為についてはどう思いますか?

んー…。そうですね、読書はしないよりはしたほうがいいとは思います。
僕が今までこの37年間生きてきたなかでの話でしかないですけど。やっぱ本を読んでる人の引き出しは多いし面白いですね。
僕は片っぱしから忘れちゃうタイプなので、あんまり引き出せないんですけど。
一回読んだ本をすっごく覚えている人もいるんですよね。佐々木俊尚さんとかって一回読んだ本がずっと頭の中に入ってて、僕が「最近こんなことやりたいと思ってるんですよ」とか言ったら、「あぁ、それだったら、なんとかって人が書いたなんとかって本の何ページくらいに…」とか、佐々木さんは出てくるんです。すげーな!とか思って。

だからって別に本を読まないとダメだとは思わないし、自分の体験とか経験を通じて、本以上の学びを得ている人たちもいるので、本が絶対だとは思わないです。

でも、本を読む人は好きですよ。それが良いとか悪いとかじゃなくて、読む人は好きだなぁて思います。いろんな刺激をくれるし、僕も「最近こんな本読んで面白かったよ」って。ある友人とは一時期は毎週のように会ってて、「今日はこの本読んだよ」みたいな。「じゃあ、この本興味あると思いますよ」とか薦めあったり、お互い好きな分野とか、趣味・趣向がわかってる関係性の中での友人からのレコメンドって超強いじゃないですか。
ブクログでも勝手に友人の本棚に本を差し込む機能みたいなこととかできたらいいのにって。
「おまえ、こんな本読んでたんだ。じゃあ、これも読めよ」みたいな。勝手に入れるみたいなのとか。やっぱ友人のレコメンドって最強だなぁ、と思いますね。

―そうですね。ブクログユーザーのみなさんと最近お話する機会があって、友人からのおすすめの本は信頼できるって、気にせずノールックで買ってしまうって言われていました。

最強ですよ。本当ノールックで買いますよ。だって、間違いないもん。

読んだ結果、良いのか悪いのか含めて、その友人とまたコミュニケーション取れるじゃないですか。自分はこう思った、みたいな。それってすごく幸せな時間だと思いますね。

後編に続く