デビュー作「太陽」の頃から、大きな時間の流れの中での人類の営みと、個々の人間の哀しみや郷愁を融合させた作品を発表し続け、『私の恋人』で三島由紀夫賞、そして今年『ニムロッド』で芥川賞を受賞した上田岳弘さん。5歳の頃から「本を書く人」になりたかった上田さんに影響を与えた本とは?作家デビューを焦らなかった理由など、創作に対する姿勢も興味深いです。
取材・文/瀧井朝世 ―WEB本の雑誌「作家の読書道」2019年3月23日
上田岳弘(うえだ・たかひろ)さんについて
1979年、兵庫県生れ。早稲田大学法学部卒業。2013年、「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞。2015年、「私の恋人」で第28回三島由紀夫賞を受賞。2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2018年、『塔と重力』で第68回芸術選奨新人賞を受賞。2019年、『ニムロッド』で第160回芥川龍之介賞を受賞。
その1「4人きょうだいの末っ子」
―いちばん古い読書の記憶から教えてください。
上田:やはり絵本ですね。僕は4人きょうだいの4人目なので、家に絵本がいっぱいありました。三角形の帽子をかぶった盗賊みたいな三人が並んだ表紙の…『すてきな三にんぐみ』でしたっけ。それとか『モチモチの木』とか『ごんぎつね』とか。そうした絵本が古い本棚に乱雑にあって。まだ字が読めない頃は、それらを眺めていました。
―今振り返ってみて、どういう子どもでしたか。
上田:姉2人、兄1人の4人目だったので、目を引くようなことをしないと大人が相手をしてくれなかったのか、突飛なことを言いだすことがあったみたいですね。上3人の視界にも僕はあんまり入っていないみたいで、3人はきょうだいげんかをしていましたが、僕はあまり参加していませんでした。子ども部屋の定員が3人で、僕だけ親の布団で寝ていたからかもしれません。なので、上の3人は「8時だからもう寝なさい」と言われるのに、僕だけ親の部屋で10時くらいまでテレビのニュースを見ていました。80年代だったので「今、世界では」とか「アフリカの貧困」といった報道をしていて、そういうのを見て「こりゃ大変だ」と思っていました。
―そういうところで人格形成がなされたのかもしれませんね。では、小学生くらいになって、字が読めるようになると…。
上田:『大どろぼうホッツェンプロッツ』とか、「ズッコケ三人組」シリーズとか。それと並行して『ドラえもん』などの漫画も読みました。ジャンプ系の『ドラゴンボール』なども読み始めましたし、兄が買ってきた『タッチ』なんかも好きでしたけれど、当時読んだ漫画で強烈に印象に残っているのは『沈黙の艦隊』ですね。それがたぶん、小学校4年生か5年生くらい。親父が買ってきたんです。読んで衝撃を受けました。子どもなりに淡い理解だったとは思うんですけれど、潜水艦をベースに独立国家を作るような話なので、国についてあまり考えたことがなかった自分にはすごくインパクトがありましたね。漢字にルビが振っていないので、漢和辞典を引きながら読んでいたのを憶えています。
―お父さんはご自分が読もうと思って?
上田:そうです。当時、すごく流行っていたんで。まだ10巻まで刊行されていない時期だったと思います。
他には、兄貴が買ってくるスニーカー文庫の『ロードス島戦記』を読んだりもしましたね。ファンタジー小説は他に『アルスラーン戦記』なども読んでいました。『アルスラーン戦記』は2017年にようやく完結していましたから、31年越しでしたね。途中から僕は追えていないんですが、「ああ、ちゃんと終わらせるって作家としてすごいな」と思いました。
中学2年生くらいまでは、そういう読書が続きました。
―中学2年生で何か変化があったのですか。
上田:僕はあまり自分では買わず、兄や姉や父が家に持ち込んだものを味わう最終捕食者だったんです。音楽も姉がビートルズを買い始めたから聴くようになりましたし。それで、中学校2年生くらいの頃に姉が家に持ち込んできた本が、吉本ばななさんの『キッチン』や村上春樹さんの『ノルウェイの森』だったんです。それで当時流行っていたミリオンセラー系の純文学を読み始めて、「あ、こっちかな」と思いました。
―「あ、こっちかな」というのは?
上田:自分がやりたいのはこっちだな、と気づいたのがそのタイミングでした。僕は5歳くらいから本を書く人になりたいと思っていたんです。親の注意を引くために突飛なことを言わないといけないという謎のプレッシャーがあったので、その究極の形が「本を書く」みたいなことだったのかもしれませんね。それを意識しながら読書を続けて、でも絵は描けないし、ファンタジー小説も違うなあと感じ、そんな時に純文学系のものを読んで「こっちだな」と思った。しかも当時、めちゃくちゃ売れていたんですよ。「はなきんデータランド」という、いろんなことをランキングで紹介する番組があって、「今週の1位は村上春樹『ノルウェイの森』です」と言われているのを見て、「すごい、金も儲かるんだ」と、夢のようだなと思いましたね(笑)。
―中学生で『ノルウェイの森』を読んで、どんなことを感じたんでしょうか。
上田:どれだけ分かっていたのか分からないですけれどね。ただ、切なさややるせなさというか、「人生って大変だな」というのは感じました。書くことで、楽しませるだけでなく苦しませたり考えさせたりすることも成り立つんだ、というところがすごく面白く感じました。
―当時、実際に自分で小説を書こうとしたこともありましたか。
上田:ありました。当時はワープロも持っていなかったので、原稿用紙を買ってきて書こうとしたんですけれど、全然書けなかったですね。2、3行書いて止まる、みたいな。何を書けばいいのかまったく思いつかない感じでした。
―ああ、ストーリー的なものが浮かんで書くというよりも、まっさらな状態で原稿用紙に向かってみた、という。
上田:そうですね。だって、もしかしたら、「ギター弾いてみたら弾けちゃった」みたいに、いきなり書けるかもしれないじゃないですか(笑)。可能性としてはゼロじゃないですよね。それでノーアイデアのまま書こうとして、「ああ、書けない、じゃあ今は止めておこう」と。
その2「修業時代に読んだ本」
―その後、吉本ばななさんや村上春樹さんの他の作品を追いかけたりはしましたか。
上田:しました。最初は姉が『ノルウェイの森』を誰かに借りてきたので読んだんですが、兄の部屋に忍び込んで本棚を見たら、当時出ていた村上春樹さんの文庫は全部あったので、それを読みました。吉本さんは最初『キッチン』を読んで、次に古本で『TUGUMI』を自分で買いましたね。その隣にある山田詠美さんの『放課後の音符(キイノート)』も買う、ということをやって読む本を広げていきました。
当時、中古ゲームや中古CDと一緒に古本を売っている店って、いっぱいあったんですよね。そのなかに純文学の棚があって、そこから安いものを買って読む、というのを高校生の頃から始めました。鷺沢萠さんの『スタイリッシュ・キッズ』が好きだったり、町田康さんが作家として登場されたので読んだり。
―上田さんは兵庫県明石のご出身ですが、大学進学で東京にこられたんですよね。どんな学生生活を送りましたか。
上田:大学に進学してしばらくは、麻雀やったり飲みに行ったりと、ずっと駄目な学生をやっていました。それでも作家にならなきゃという謎の使命感はずっとあって、「そろそろやらなきゃ」と思ったのが21、22歳の頃。作家になるにはやはり古典を読んでおこうと思い、日本の古典といえば夏目漱石、世界的な古典といえばドストエフスキー、戯曲の古典といえばシェイクスピアだなという単純な発想で、古本屋さんで買ってきて、がーっと読んだんです。漱石もドストエフスキーもシェイクスピアも、めちゃベーシックなんですけれど、実際に読んでみると勉強になることがすごく多くて。自分の下支えになっているのはあの頃に読んだ古典です。
―どのようなところに刺激を受け、影響を与えられたと思いますか。
上田:漱石はたぶん『こころ』なんかを中学生くらいの頃に読んだんですが、小説の修業を意識して改めて読むと、すごくテクニカルだなと気づきました。修業として最初に読んだのは『草枕』なんですけれど、すごく実験に満ちている。最初の「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される…」っていう、あの下りが美しくて。オマージュ作品を作ったこともあります(『文藝別冊 夏目漱石』収録の「睡余―『草枕』に寄せて」)。
―そういえば、上田さんの『異郷の友人』の冒頭の一文は「吾輩は人間である。」でしたね。
上田:あ、それもオマージュでしたね。やっぱり漱石は好きですね。あとはドストエフスキーの長台詞とか、シェイクスピアの長台詞がすごく好きで。「こんなの絶対誰も言わねえだろ」という長い台詞をするっと読ませるのが結構好きなんですよ。
―上田作品の長台詞の影響が、その二人の影響だったとは。
上田:福田恆存さんの訳とかがあったと思います。ちなみに一番好きなのは『マクベス』です。構成に無駄がない。太宰の『斜陽』も好きなんですが、なぜなら構成に無駄がないから。ああしたスパッと感、好きですね。
―ドストエフスキーではどの作品がお好きですか。
上田:どれも好きで、どうかなあ?『罪と罰』は、いろいろなものが詰まっている「ザ・小説」という感じ。それと、わりと『地下室の手記』の引きこもりっぽい感じがいいなあと思いますね。今っぽいし、ドストエフスキーは先見性があるというか、実はウィットも効いている人なんだなと思いましたね。
当時は他にも、名前を聞いたことがあるものがあったらとりあえず買っていました。ガルシア=マルケスやフォークナーも読みましたし、古典とは言えないですがミラン・クンデラも読みましたし。カート・ヴォネガットも。ヴォネガットは戦争経験があるというのが下支えになっていると思うんですけれど、人類とか地球とか宇宙というものを、ある種乱雑に扱うじゃないですか。いい意味での大胆さというか、ある種の幼稚さが新鮮でした。そんなふうにやっていいんだというのが僕の中では驚きでした。
―好きな作品は何ですか。
上田:やっぱり『タイタンの妖女』の、「よろしく」というメッセージを届けるために必死こいているという、あそこがたまらないですね。一番刺さったのは『猫のゆりかご』の「アイス・ナイン」。連鎖的に常温の水も凍らせてしまう、9番目の氷の状態アイス・ナインというのが出てくるんですけれど、そうした実在しないものを大胆に取り込むところが、勉強になるなと思いました。
―先日上田さんが出演された「ゴロウ・デラックス」でご自宅の本棚が映っていましたよね。ポール・オースターの『リヴァイアサン』やアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』があって。
上田:オースター大好きです。『リヴァイアサン』は、「六日前、一人の男がウィスコンシン州北部の道端で爆死した」と始まる。「爆死した」が一文目というのがクールだなと思う。デュマは小デュマから入った気がします。『椿姫』から読んだんですが、人から「有名なのは父親の大デュマのほうだよ」と言われ、アニメで観ていた「三銃士」の作者だと知って『モンテ・クリスト伯』を読みました。
―その頃、国内作品は読みましたか。
上田:町田康さんが『きれぎれ』、松浦寿輝さんが『花腐し』で芥川賞を受賞された時期だったので、おふたりの著作を読んだりして。当時、純文学界では文体へのフェティッシュみたいなものがありましたよね。それを真似てみたくなり、例えば句点じゃなくて読点で文章を繋げていく表現を当時僕もやってみました。作品にはなりませんでしたけれど。