花開く前のつぼみの姿というのはすごく魅力がある — 宮下奈都さん『つぼみ』刊行記念インタビュー後編

今回ブクログでは、新作短編集。『つぼみ』について宮下奈都さんへインタビューを行いました。前編では、執筆の経緯から、『つぼみ』前半部のことまでをお伺いしました。後編では、『つぼみ』後半部のことをお伺いしたうえで、作品全体に流れるテーマについてお伺いしています。

取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 大矢靖之 持田泰

ちょっと小説家になった気分だった ─ 収録作「晴れた日に生まれたこども」について

宮下奈都さん著者近影・画像2

―スピンオフ三作品だけでなく、残りの作品三作にも言及させていただきますね。収録順にお伺いしていきます。

「晴れた日に生まれたこども」(2006年7月)。ある種のニートみたいな存在である晴彦と、その姉の晴子。晴彦はずっとのんきにマイペースに、自分のやりたいことをやり続ける。姉の晴子はそれを苦々しく思っているけれど放っておくこともできない。その二人は、離婚した父母の姿がそれぞれ全く違うものとして見ていたことが明らかになる作品でした。二人の行き違いとか見え姿の違いが明らかになる。色々なものが描かれている作品でしたが、この作品については……

これは、変な小説だったなー、って思ったんですよね。変な小説だし、ラストで解決されることが特に何もない。ちょっとお姉さんのほうの心境が変わるっていうのはありますけれどね。でも、面白かった。良かった。そう、これって自分でもすごい好きな小説なんですよね。

この小説は、私が生まれて初めて書いた小説から数えて四番目に書いたものです。デビュー作『静かな雨』を書いて、そのあと『コイノカオリ』収録「日をつなぐ」を書いて、すぐあとに「新しい星」という短篇を書いて、その次の作品でした。「なんなの、この二人!」って今ならちょっと思っちゃうかもしれない生々しさみたいなのを、書けて良かったと思っています。

―『つぼみ』で今回収録されたなかでも一番古い作品ですね。

そうですね。

―それでも、弟と姉の対照的な性格であるとか、二人からの父と母の見え方の違いとか、なんかそういったあたりが繊細に描かれていましたね。弟の状況が好転しているわけではない。けれども、ちょっと、たしかに進んでいる。つぼみが、少しだけ花開く。のろのろしてるかもしれないけど確かに一歩踏み出しているという感触を受けた一作でした。

少しですねえ。そうなんですよね。

ところで、「晴れた日に生まれたこども」っていうタイトルは、初めて自分でタイトルがつけられた! って思った小説だったことを思い出しました。これまで自分はタイトルをつけるのが下手、って思っていて。最初の小説から三つ、どうつけていいか分からないことが続いて、ここで「晴れた日に生まれたこども」ってつけられたとき、えっと……ちょっと小説家になった気分だったんですよ!(笑)

―それまでタイトルは編集さんと相談の上で、もしくは編集者さんが決めていたりしたのですか。

いえ、一応自分がつけてたんですけど、最初の『静かな雨』はダメだしされて。応募原稿の最初のタイトルは、『月に降る静かな雨』だったんです。いいタイトルだと思ってたんですけど、「タイトル変えてください」って言われて『静かな雨』になったんですよ。『静かな雨』より『月に降る静かな雨』のほうが……ってそのときすごく思っていたので、忘れられないですね。そのあとも、どうつけていいのかわからないことが続いて。でも今回「晴れた日に生まれた子ども」のときに……

―ご自身でつけて。

そうなんですよ。通った。

―そういったきっかけがあったのですね。

母を日常とは異なる存在として書くことで、そのときの私と息子の関係みたいなものを書きたかった ─ 収録作「なつかしいひと」について

―その次は、「なつかしいひと」。書店が舞台の作品です。転校した主人公の少年が書店で少女と出会って、お勧めの本を様々に教えてもらう。その教えてもらった本をもとに友人ができて、少しずつ新しい環境になじんでいく物語でした。

完全なネタばれを避けたいので詳細はぼかしますが、この少女の設定については珍しいな、って思いました。日常のことであるとか、ささやかな出来事についての作品ではありますが、日常から少し外れる存在が今回出てきて、少年が教えを受ける。今までとは一風変わっている作品だな、と。

本当ですね。

―この作品についてはいかがですか。

これは、ちゃんと一つの物語として完結させようと思って書いたんですよね。元々、枚数の決まったアンソロジーの一篇だったんです。大崎梢さんが声をかけてくださったのですが、大崎さんは元々ミステリーの方だし、ラインナップ上、「晴れた日に生まれたこども」的ではないものが求められているように思いました。この枚数のアンソロジーものならば、きちんと結末のある短編がいいと思ったのです。そして、こういう年代の男の子を書きたかった。

なぜ少女を、日常から少し外れる存在として書いたのかは、当時ははっきりとは意識していませんでした。けれども、書いたときの自分の息子と、主人公の男の子が同じくらいの年齢なんですね。自分は母の立場だったのですけれど、日常とは異なる存在を書くことで、そのときの私と息子の関係みたいなものを考えたかったんだな、と今になるとわかります。これくらいの年頃の男の子は、生身の母には向き合いにくいんじゃないでしょうか。母は、彼のなかでは、いない。うちの息子にとっても、きっとそうだったと思います。母という人がいるけれども、彼のなかでの存在としては、もう、ほとんどいらないというか。

―ふだんと違う存在だからこそ、少年は意識しながらも向き合えたということかな……と今の話をお伺いして思いました。

そうなんですよね。やっぱり小説には、そのときそのときの自分が表れていますね。そうそう、先ほどのラケットの話とも繋がっていることなんですが、自分の息子については色々思っていたことがあります。息子がもし私と同じクラスにいたら面白かっただろうけど、彼が旧型ラケットを選んだ時に当時の私はそのことを気づけたんだろうかとか。あるいは、彼がクラスメイトだったときに、好きになったりするんだろうかとか。その、何と言うか面白さというか、私と息子が全然違う人間なので、すごく考えました。

「なつかしいひと」のときに、自分が同じ年頃になったとき、じゃあ彼のほうはどう思うことになるんだろう? っていうことにすごく興味があったんですよね。目の前にいたら、なんか知った顔だし、なんか懐かしい、っていうときに何かそこで感情が芽生えるかな、って。そんなことを考えながら書いていたんです。

これがもし文章になったら多分、息子は嫌だろうな……と思うんですけどね。でももうひとりの息子に対しても同じように思うし、もちろん娘に対してもそう。この子たちが同じクラスになったときにどれくらい相手のことが分かるだろう、と思っていました。そのことが小説に表れてるんだと思うんですよね。

―面白いお話でした。この作品では、本が存在感を放っていましたね。重松清さんが出てくるところとか、本を介して自然と友達ができて、仲良くなれたところとか。本の可能性のようなものを示しているところも、面白く読めました。

よかったです。

全然おしゃれじゃない人を書いてやろう、という気持ちがありました ─ 収録作「ヒロミの旦那のやさおとこ」について

―最後の、「ヒロミの旦那のやさおとこ」について。こちらは雑誌『VERY』の2008年1月から3月までの三ヶ月連載ということで、『つぼみ』のなかでは少し長めの作品になっていますよね。主人公の小学校時代の同級生、ヒロミが旦那と地元に帰ってきている。けれども、そのやさおとこふうの旦那が主人公に「(ヒロミが)いなくなったんです」と声をかけられ、主人公とやさおとこの、奇妙な交友関係が始まってしまうことになる。

この作品、「やさおとこ」って表現がすごいタイトルです。

ははは……そうですよね。絶対にイケメンじゃないひとですね。顔は整っているけど、「やさおとこ」としか言いようのない人っていますよね。

卒業アルバムとか見てて、写真だと「この人かっこいいね」って言われる人のなかでも、リアルでは「あー、全然だよー」っていう反応をされるような人……いるじゃないですか? そういう感じの人を書きたかったんです。あと、この小説は『VERY』掲載なので、「ジャージはいてだべってる女の子」とか、全然おしゃれじゃない人を書いてやろうという気持ちがありました。

―作中、やさおとこは色々な登場人物によって、見え姿が変わっていますよね。確かに、そこがリアルでした。そういえば宮下さんの作品で出てくる登場人物で、本当にダメダメな人ってあまり出てこなかったような気がします。もちろんちょっとダメとか、普通の人は出てくるんですけど。こういう感じの全力で情けないダメ男みたいな人は初めてだったような。やさおとこ、という点についてもう少しお聞かせくださいますか。

時々、実際にいますよね(笑)。身近にも、知人の結婚相手がやさおとこだったりして。なんか本当にへえええって思った。その知人の価値観みたいなものがパッと見えた気がして。やさおとこにどうしようもなく惹かれる人っているんですよね。そんな存在について書きたいなと思ったんですよ。

―ちょっと優しかったり、でもその優しさが主人公の目には情けないものに映りがちでしたね。……個人的に気をつけようと思いました。それはともかく、一人の男性に対してこれだけ各人からの見え姿が違うことから、仲良しの女性たち同士の関係性まで見えてくるところが面白かったです。登場人物の女性たちは三十歳くらいなのでしょうか。

そうですね。三十代に入ったばっかりとか。そこは『VERY』の読者を意識していて。ただ『VERY』の読者は、小説目当てに雑誌を買っているわけではないですから、読みやすくて、わかりやすくて、っていうことは意識して書きました。この小説をどの順番で入れるかっていうことで今回一番迷ったんですけど、編集長が「これは一番最後に」っておっしゃった。そこを固定しちゃったらだいぶ全体の順序を決めるのが楽になりました。これ、ちょっと他の小説と違うじゃないですか。

―確かに他の作品と違いますよね。長さもそうですし、登場人物も大分違う趣なので。最後であることに納得です。重量感があるので最後のほうが。

読んだ編集者の一人が、「これ宮下さん(の小説)じゃない」って。編集者もびっくりしたそうなんですよ。テイストが今までとまったく違うから、ある意味違う宮下奈都を見せてもらった、と。褒め言葉かどうか、よくわからないですけど。

―キャラクターそれぞれが気取っていないですよね。宮下さんは今回、登場人物をある種コミカルに書きわけている。登場人物たちは大真面目なんだけど、読者から見るとコミカルに見える。『VERY』の読者からは、更にこっけいに見えるかもしれませんね。読み応えのある作品でした。

短編集にあたっての秘話

―今回の短編集では、登場人物に色々な世代の主人公たちがいて、『スコーレNo.4』にひきつけて色んな話をうかがうことができました。様々な要素が一冊にまとまっていることで、宮下さんの多面性があらわになった一冊だったな、という印象です。

ありがとうございます。よかったです。

―これらを一冊にまとめることになった経緯は何だったのでしょう。

(担当編集者)私たちはただただ世に出したいと切望していました。どの作品も愛おしくて、このままご本にならなかったらお豆の紗英ちゃんもかわいそうだな、と思っていましたので、是非にとお願いしました。宮下さんは、ずいぶん古いものもあるし、今の作品ではないことへの戸惑いもあって、悩まれたんですよね。でも、あのときにしか書けなかった小説であるということを大切に決断してくださった。こうして読者のみなさんに届けることができてよかったです。

―今回は内容について、変えたところなどはありますか。

内容はほとんど変えてないですね。絶対に違う、というところだけ修正して。はじめ、かなり書き換えようかと思ったんですけど……恥ずかしくて。

(担当編集者)当初、全然ダメだ、っておっしゃっていたのですが、何度か原稿を読んでいらっしゃるうちに、やっぱりこのままがいいんじゃないかって思ってくださって。だから、変えてないですよね。

変えてないです。ほとんど変えてないと思います。

―それだからこそ当時の宮下さんのテーマがわかり、肉声が聞こえてくるような気がします。非常に楽しかったです。『羊と鋼の森』を書いた宮下さんを読もうとした読者が、「ヒロミの旦那のやさおとこ」を読んだらきっとおどろきますよね。読者に新鮮な驚きを与える一冊になるかなと思いました。

宮下さんのテーマ ─ 「肉親」「生きる糧」について

宮下奈都さんインタビュー画像3

―では内容についてはそれぞれ触れていきましたので、ここから宮下さんの作品全体に共通するかもしれないテーマについて、質問させていただきます。

まず、宮下さんの描く兄弟、姉妹というものについて。『つぼみ』は、姉妹、兄弟、親子関係、つまり肉親が主人公となる作品が多かったですね。それは『スコーレNo.4』を含む過去の作品にもいえることで、宮下さんの作品全体において肉親という存在はとても大きなものであるように思えます。肉親は、宮下さんのテーマになっているのでしょうか。

なっていますね。

―それはかなり意識して書かれているのでしょうか。

いいえ。「晴れた日に生まれたこども」のときは、姉と弟を書きたい、っていうはっきりした意識があったんですけど。でもどれを読み返しても、「あ、きょうだいだ」って思います。兄弟だ、肉親だ、って。肉親以外の関係で、ちょっと違う人をもっと入れれば、ストーリーも展開するんだけど、とは思います。それをあえてすごい小ちゃいところでやっているような気がするんです。

肉親に、関心があるんでしょうね。肉親なんだけど、全然別の人間だっていうことを、子どもを産んで育ててよく分かったんです。別の人間だって思うことは、ぜんぜんさびしいとか冷たいことではないとも思っています。むしろ、まったく違う人間だっていうことが分かっていないと、やっていけない。だけどそこで、違うんだけど関係を結ぼうと思う気持ち、そういう人への働きかけみたいなところが好きなんだな、と思うんです。

―人と人との関わり方、相手のふとした一言、仕草とか、そういったもので発見的に気づかされて主人公が成長していく、ということが宮下さんの作品ではよく描かれていると思います。その重要な関係って、友人同士でも示されていますが、肉親であることがけっこう多いな、と思うんです。近しい距離から受ける影響関係を、常に宮下さんは描いているのかな、と思います。

そうなんですよね。そのあたりが面白いところだと思うんですよね。近くない距離とか、大きなものとか、あんまり興味がないっていうか。

―意識はしていないけど、(書いてみたら)事後的にそうなった、ということなのでしょうか。

そうですね。そもそも近しい人だからこそ影響を及ぼしあうと思うので、その最小単位みたいなところで肉親を書くんでしょうね。

ただ、友達とか友人関係の話を書いていて、親が出てきたりするとすごく興ざめだったりするじゃないですか。子ども同士の関係に親がきてうまく解決するとか、違う関係を持ち込むことでうまくいっちゃう話は、ちょっと納得いかない。そうじゃないところで書きたいものがあるんだな、っていうことを思っています。自分で選ぶとか、自分で決めるとか。そうじゃないとつまらない。今回それが多かったかもしれません。

―更にお聞きすると、本屋大賞受賞のあとで行われたインタビューにおいて、「これから書いていきたいこと」という質問中、「人が生きていく可能性を探していくこと。ものすごく小さいものでもそれでもいいから、つかめた瞬間を書きたいと思っている」。さらに、「地道に普通に暮らしている人間に、光がさす瞬間がすごく好きで、実生活でもそういう経験が心に残っているので小説でも書いていきたい」ってインタビューでおっしゃっていましたね。

「これから書いていきたいもの」について話されていたけれど、こうして世に出た『つぼみ』に収録された過去の作品も、その意図に近い作品じゃないかな、と思えるのですよね。日常的日々の発見的性格こそが真実、というようなメッセージを受け取れる一冊だったな、と感じられました。

『スコーレNo.4』のときも、『羊と鋼の森』もそうだと言えるかもしれません。色んなところで共通するテーマを書き続けられていますが、これからもそういった日常を重視して書かれていかれるのでしょうか。

そうだと思います。たとえば、ずっと心に残ってる一言、って誰にでもあることだったりしますよね。同じ場所にいて、同じように聞いても、ほかの人は特にそうは思わなかったかもしれないけど、その瞬間の私には響いたというようなこと。

ささいかもしれないけど、多分、それが生きる糧みたいなものであると思います。例えば、たくさんの人に本が売れたらすごく嬉しいけど、ひとりの人が本を読んで熱い感想を言ってくれたことのほうがずっと心に残っている、というようなことがありますね。あの時あの人が言ってくれたことでこういう気持ちでやれる、というようなことがすごく私にとって大事なんです。これからも、そのことを書いていきます。なんかこう、そっちだ、そっちだ。書きたいことはそっちだ。というように。

つぼみってすごく脆くて初々しくて、でもすごく美しいもの ─ 読者にむけて

―これからの執筆のご予定で決まっているものはありますか。

『小説すばる』で連載を休載したまま再開できていなくて、それを再開したいとずっと思っています。でも、最初に書いたときとは自分の感覚も書きたいものも少しずつ変わってきているのを感じます。主人公が中一の男の子なのに、休載してるあいだに、二年とか年が経って。中二なら書けるんだけど中一は無理みたいな、そういう感じが自分のなかにあって。

―何か、書くタイミングみたいなものがズレたのですか?

そうなんです。ズレたんだと思います。でも、ズレに気づくことができてよかった。ちょっと違うかも、と思いながら書くんじゃなく、「いま、絶対にこれを書きたい」という強い気持ちが、小説を書くにはすごく大事です。近々、再開する予定でいるのですが、再開が楽しみな反面、早く書かなきゃって気持ちと、いいものを書きたいって気持ちとの間で揺れています。小説を書きはじめるときは、いつも本当にドキドキします。

―宮下さんは、出身かつお住まいである、福井での活動も大事にされています。次のお仕事はなんでしょう?

9月に、福井県立音楽堂「ハーモニーホールふくい」20周年記念、「越のルビー音楽祭スペシャル」の脚本を書きます。サン=サーンスの「動物の謝肉祭」をもとに、福井の作曲家が新しく作曲し、福井の学生たちが動物たちを作って。私はそのお話の脚本を作る、というちょっと変わった仕事です。

それから、福井新聞の『fu』で連載していたものが、本にまとまることになって、12月に実業之日本社から出ます。本当は、100回分くらいたまらないと、と思っていましたが……いま連載4年で50回くらいで。あと数年かかるな、と暢気に進めていたんですけども。この連載のテーマが、子どもたちなんです。だから最初小学生だった子どもがどんどんリアルタイムで大きくなってて、100回分まであと4年くらいかかるとすると、その時には子どもたちがきっとみんなうちを出ていっちゃってるんです。だから、この段階で一度まとめようと。『緑の庭で寝ころんで』というタイトルで、他に書いたエッセイと一緒に本にする予定です。

―なるほど。ではこれが最後の質問になりますが、『つぼみ』を読もうとしている読者さんに何か一言を。

主人公たちは花開く前。花開く前のつぼみの姿というのはすごく魅力があると私は思っています。小説の話にとどまらないことですけれどね。つぼみってすごく脆くて初々しくて、でもすごく美しいものだっていうことが、読んでくれた人に伝わってほしい。読む人のなかには「自分はもう花開いてるよ」という方もいるでしょうけども、自分たちの中にもまだつぼみがあって、これから花開く美しい存在なんだ、っていうことが、伝わったらいいな、という気持ちです。


宮下奈都さん、ありがとうございました!


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著者 : 宮下奈都

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