『夜廻り猫』によって、第5回ブクログ大賞受賞となった深谷かほるさん。過去、第21回手塚治虫文化賞・短編賞も受賞しており、多くの人に読まれている一作です。
もともと『夜廻り猫』は、2015年10月から深谷さんのTwitter上で開始された連載投稿でした。多くの方々の高い評価を受けて単行本も発売され、今に至ります。現在、Webコミックサイト『モアイ』にて連載中です。
取材・文・撮影/ブクログ通信 編集部 持田泰 大矢靖之 猿橋由佳
遠藤平蔵はどのように生まれたか? 『夜廻り猫』誕生のきっかけ
─ブクログ大賞マンガ部門受賞おめでとうございます!
ありがとうございます。
─ブクログに投票されたみなさんから愛情あふれるコメントが多数寄せられました。マンガ部門は一番盛り上がった部門でしたが、『夜廻り猫』が制しました。第21回手塚治虫賞受賞もされてWebでも大変に話題になった作品でしたが、今回はじめに、『夜廻り猫』を執筆したきっかけ、そして主役の遠藤さんが誕生した理由を教えてくださいますか。
入院した息子の退屈しのぎになるかなと思って、「4コママンガでも描いてあげようか」って聞いてみました。そしたら、「描いてみて」って言われたので、「何の絵をマンガにしようかね」って聞いたんです。当時、(インタビューの部屋にかかっている絵を指差しながら)あの怖い猫の顔の絵を、廊下に放り出してあったんですが(笑)。
息子が「あの猫でいいよ」って言ったんです。じゃあ描いてみよう、と漫画を1本描いてみました。続けて2、3本描く中で、「もしかしたらこの漫画の枠で、いろんな目立たず頑張っている人に、あなたの頑張りによって私は励まされる……そういう内容の漫画を描けるんじゃないかな」って思い始めました。もしかしたら何本も描けるかもしれない。はじめは「30本描けるといいかな」って言いながら、病室で描いて息子に見せていました。そしたら息子が、「Twitterに上げてみたら」って言うんです。
「そう?」って言ってしまいました。だって最初、定規も使っていなくて(笑)
─たしかに、漫画初期の話のほうは……
ふきだしが枠の中に入りきってない箇所もありますね(笑)
─第1話、最終コマですね。
そうです。
─最初のころは、シュールな面白みがありますね。主人公の猫「遠藤平蔵」の名前は最初から決まっていたのでしょうか?
最初は、名前がなかったんです。Twitterにマンガを上げだしてからしばらく経って、同郷の古い知り合いの遠藤さん夫妻から、「うちの遠藤家の猫に似ているから、平蔵ってつけてくれない」って言われて(笑)「いいですよ」って言って。
―遠藤さんはご近所の方なのですか?
いえ、埼玉の川越の方なんですけどもね。
―おもしろいですね。そんな遠い方の知り合いが。
奥さまのほうは、川越でGallery & cafe平蔵っていうお店のオーナーで。そのお宅は、飼い猫の平蔵さんの名前を、お店の名前にもした愛猫家です。
─そうなんですね。そこは『夜廻り猫』のアンテナショップ的な感じではなく、個人のお店なのですね。
そうです。あくまで『夜廻り猫』には関係ないんです。cafe平蔵さんの猫は、遠藤家の飼い猫さんの姿なんですよ。
─面白いですね。その遠藤家で飼われている猫さんは、まだご健在なのでしょうか?
健在です。まだ全然若い猫です。ちなみにその後、そのカフェで展覧会をしないかっていうお話もいただいて、今年3月には『読者による作品展』という展示を行ったんですよ。
─なるほど。cafe平蔵さんの猫さんから名前を借り受けた。でも、このキャラクターができた過程ではモデルにしたわけではないんですね。
最初に作ったタイミングではモデルそのものではないのですね。なので、ごめんなさい。「遠藤平蔵」という名前は一言で言えば、まったく意味がないんですね(笑)。
―いえいえ。むしろ大変面白いエピソードです。あと、頭上に缶、任侠ふうの上着、というキャラクターの造形は、先に話題にした絵を描いたときに生まれたということなのでしょうか。
そうです。そのときはそこまでしか造形が膨らまなくて。ちょっと失敗したなと思って絵を描いてから2年ぐらい放っておきました。
─もともと平蔵の元になるこの絵は、何か最初から作品にしようと思って生まれたのでしょうか。
もともと私は、マンガのほかに趣味で絵を描くのが好きなんです。時間があるとさまざまな絵を描くんですけども、そうやって描きながらキャラクターや小話を考えるんです……まあ大して膨らみはしないんですけども(笑)。絵に描いたキャラクターがそれぞれこういう場所で、こんな仕事をして、というように考えながら描く習慣があるのです。
─造詣を深め、理解していくために特に何かを作品を描こうと考えずに、絵のために考えられるって感じですね。
そうです。
ーなるほどなるほど。面白いですね。
『夜廻り猫』というタイトル
―お子さんの看病から漫画が生まれたとき、『夜廻り猫』というタイトルは既にあったのでしょうか。
つけていました。どういうわけか、1本目からタイトルはつけましたね。夜、人が1人に戻って、しんとしたときに読んでもらうみたいなイメージでした。
―なるほど。余談になるんですけれども、その『夜廻り猫』と言うタイトルは僕はとてもしっくり来ていまして、実は「夜廻り猫」に出会ったことがあるんですよ。その「遠藤平蔵」ではもちろんないのですけど(笑)。もう20年ぐらい前に、わけあって失業手当で生活していた時期がありまして。古いアパートに住んでいたんですけども、扉の前で子猫が鳴いていたことあるんですよ。それがきっかけで1カ月ぐらい子猫と一緒に生活していたことがあるんです。まあネタ明かししちゃうと、そのアパートの住人がみんなで飼っていたような猫だったみたいで、たまたま僕の部屋の前にも来たっていう感じで、皆でシェアされていた子猫だったんですけど、それを知らずに1カ月ぐらいごはんを与えてましてですね。猫を世話しているうちに「養うつもりならそろそろ働きに出ないとやばいぞ」となって。
へえそうなんですか。なんか映画みたいですね。
―それが契機になって僕は無事再就職を果たしたんですけれども、そんなことが20代終わりの頃にありましてですね。その猫が仮に生きていても、もうすごいおばあちゃん猫になっていると思うんですけどね。そういう意味で、猫って距離感を取る生き物でありながら、実は「涙の匂い」に寄ってくるというか。人が凹んでいる時や、弱っている時に猫ってそうっと近づいてきたりする生き物ですよね。
はい。はい。
―そういう意味でこの『夜廻り猫』を読んで、しみじみと親近感が湧くといいますか、あの子猫との1カ月の思い出が蘇るみたいな(笑)
そうなんですか。いや映画っぽいですよ。小説っぽいというか。面白い。
―そうですね。物語のような不思議な経験でしたね。僕の人生もそれで変わったようなもので。かわいい猫で、すごい人懐っこかったんです。すみません僕の話で……。
いえいえ、面白い。
―話を戻させていただくと、そういう意味では深谷さんご自身の経験も、結構描かれていますよね。田舎の農家で宿泊していたら囲炉裏の前に猫がどんどんどんどん入ってくるお話ですとか(※第2巻110話)。あれはやはり深谷さんご自身の体験だったりするんですか。
はい。あれは事実です。
―なるほどなるほど。結構、そういう事実に根ざしたお話っていうのは、混ざっているんですか。
はい。今のお話以外ですと、「ありがとう」に「ありがとう」っていうシーンが初期の頃に出てきますけど、実際に息子の入院中の親子でした会話です。(※第1巻17話)
─ああなるほど。確かに入院中の子どものところに平蔵が行くお話ですね。
他だと、知り合いのお姉さんが、ピーナツバターのパンを3年間私に持って帰ってくれたりする話ですとか(※第1巻29話)。
―こちらはタイトル横に「作者の実話」とも記載がありますね。
今も年末に、料理の詰め合わせなんかを毎年送ってくれるんですけど。
―血の繋がりがある人でもなんでもないんですよね。
他人です。
―すごいですね。この作品を読んだとき不思議に思ったのが、猫は最後にしか出てこないところなんです。猫が話を聞いてあげている体ですよね。
ああ、そういう話って話す相手がいませんよね、普段は(笑)。
―なるほど。僕も、さっきの猫の話は話す相手がいないです。普通、誰も聞いてくれないですからね(笑)。
ちょっとためらいますよね(笑)。
―ためらいますねえ。
そうなんですよ。そういう、人間にはちょっと言いにくいような話を聞かせられるとすれば、こんな猫でないと、みたいな(笑)
登場人物たちのモデル
─そうなると、実在の人をモチーフにされたケースも多いのですか。
場合によりますね。割合は低いんですけど、全体のうち4、5本は、ほぼ実在の話です。ココイチでおじいさんと少年が隣のテーブルで食事していて、支払いのときにおじいさんが拝んでいたっていう話は、先ほどの遠藤さんからお聞きした話です。実際に見たんですって。
─なるほど。深谷さんやお知り合いの実話が複数まざっているんですね。登場人物の中で、深谷さんがとりわけ愛着のあるキャラクターはいるのでしょうか。
全部愛着があるといえばあるんです。けれども特に、ピーターっていう猫を連れて、夫と息子を捨てて出てったお母さん。
―泣かないお母さんですよね。
そうですね。Twitterでも「その後どうなったのか気になる」っていうリプライを結構いただいて。私も気になるというか……ピーター、猫と、どちらも元気でやっていてくれるといいななんて。自分で描いているのに変な言い方なんですけど(笑)。
―この作品では再登場する人も多いですから、もしかすると、ピーターと一緒に出て行ったお母さんがまた再登場する可能性はありますかね。
はい。結構ご要望があると、それにお応えして描くみたいなことはあります(笑)。
―いろんな人が出てくるので、ファンによっては愛着の角度も違う中で、続きが知りたくなるような、みなさんがそれぞれの人生をその後どう歩んでいるかっていうのを、見てみたくなるんだろうと思いますね。そうすると、読者の声次第でまた再登場したりするキャラクターもいたりしますか?
そうですね。1巻に1回しか出てこないっていう人もいます。
―『夜廻り猫』登場人物図鑑みたいなものがあったりすると面白いかもしれません。作中に中央線猫というような表現があったように思うのですが、舞台となっている場所のモデルは、中央線沿線なんですか?
つい知っているところを描いたっていうのはあるんですけど、あんまり田舎か都会かも特定しないで、都合よく移動できればと思っています。
―そうですよね。中には山村の話もありましたから。街の描写には中央線沿線の感じがよく出ていますね。
場所の特定が上手な人がいて(笑)。本当に背景なんていい加減に描いているんですけど、あそこのそば屋だとか、あそこの魚屋さんだとか。そのとおりっていうふうに。(笑)
ー分かります。特定したくなる何かがある(笑)。
そうですか。だんだんばれだしてきた感じなんですけど(笑)。
―でも面白いですね。謎解きをしたくなるんでしょうね。
この続きはインタビュー後編で!後編では、『夜廻り猫』登場猫たちのモデルについてお伺いしながら、深谷さんが考えているテーマ、そしてこれから描こうと考えている作品についてお伺いします。ご期待ください!