2月21日、俳優の大杉漣さんが急性心不全のため亡くなりました。66歳でした。ご冥福をお祈りします。
スポニチアネックス「大杉漣さんが急死 66歳 急性心不全 名バイプレーヤーとして人気」(2018年2月21日)
経歴:大杉漣(おおすぎ・れん)さん 1951年9月27日-2018年2月21日)
本名、大杉孝(おおすぎ・たかし)。芸名の「漣」は、ミュージシャン高田漣さんの名前から取ったもの。徳島県小松島市出身、四人兄弟の末っ子で、兄の影響を受けてサッカーを始める。上京して明治大学に入学するが、音楽生活に明け暮れて、大学に行かずにアルバイト生活を続ける。その最中で当時の演劇劇場に通いつめ、劇作家・太田省吾の記事にふれて感激。大学を中退して演劇の道に進み、1974年に太田創設の「転形劇場」に入り、1988年に解散するまで所属する。
1978年「緊縛いけにえ」で映画デビュー。1981年井筒和幸監督「ガキ帝国」から一般映画にも出演。一方でロマンポルノ作にも出演を続け、1983年に滝田洋二郎監督の「連続暴姦」で「ZOOM-UP映画祭」ピンクリボン賞主演男優賞受賞。転形劇場解散の頃から俳優に専心し、1993年北野武監督の「ソナチネ」で注目され、北野映画の常連となる。1998年北野監督の「HANA-BI」、崔洋一監督「犬、走る DOG RACE」等の作品で、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞など多数の助演男優賞を受賞。テレビドラマにも活動の場を広げ、出演作の質量と演技力によって、「300の顔をもつ男」という異名を受けた。
映画・テレビドラマだけでなく、活動は多方面に及ぶ。バラエティやナレーションにも積極的に出演。元々サッカー少年で関心も強かったことから、プライベートのチーム「鰯クラブ」発起人・中心選手として活躍し、サッカー番組にも出演していた。田口トモロヲに誘われて器楽を始め、「ハージー・カイテルズ」を結成。1998年には俳優仲間である大森南朋・田中要次と「大杉漣バンド」を結成。ペットが大好きで、公式ブログ「大杉漣の風トラ便り」の題名は、愛猫「トラ」と「風(ふう)」に由来するもの。
大杉漣さんの著作
大杉さんの著作と、インタビュー所収本をご紹介します。
大杉さんは2冊の本を出版していますが、どちらも15年以上前の書籍で、現在は入手困難です。「現場」ありのままを現場の役者目線で記している『現場者 300の顔をもつ男』に、雑誌「音楽と人」に連載していたエッセイなどをまとめた『ゴンタクレが行く』(ゴンタクレは悪ガキ、乱暴者などの意)、魅力的な二冊の復刊が望まれます。
北野監督、俳優論、そして死について語ったインタビュー『映画監督、北野武。』
『ソナチネ』以降仕事を続けてきた北野監督についての、大杉さんインタビューが収録されています。ここで大杉さんは各作品にどのような態度や演技で臨んだか、自身の役者としての姿勢を軸に語り続けています。
インタビュー末尾で注目されるのは、大杉さんが自らが夢見る理想の死「陸死」について語っている箇所です。大杉さんの価値観や役者としての態度と表裏一体の内容であり、非常に価値のあるインタビューとなっていました。非常にセンシティブな内容ですが、ご紹介しておきます。
他に、ブクログでは大杉さんの出演DVDを検索することもできます。若い頃に出演したロマンポルノやVシネマなどでDVD化されているものもありますので、「300の顔をもつ男」の来歴をたどってみてはいかがでしょうか。
老若男女、多くの人に愛される俳優、大杉さんの書籍やインタビューが読まれ、出演作品が語り継がれることを願っています。