こんにちは、ブクログ通信です。
彩瀬まるさんは2010年、『花に眩む』で第9回「女による女のためのR-18文学賞」の読者賞を受賞し、デビュー。2017年刊行の『くちなし』では、第5回「高校生直木賞」を受賞しました。同作は第158回、2021年には『新しい星』で第166回「直木賞」候補になるなど、更なる活躍が期待される作家です。
幼少期をスーダンやサンフランシスコで過ごした経験の中で、人間には生まれながらの境遇の差があることに気付いたという彩瀬さん。その作品に、挫折や理不尽さ、喪失を題材に、再起・再生までを描いた物が多いのも頷けます。今回は、そんな彩瀬さんの作品の中から、選りすぐりの5作品を集めました。ぜひこの機会にチェックしてみてくださいね。
『彩瀬まる(あやせ まる)さんの経歴を見る』
1.彩瀬まる『新しい星』どん底にいる時ほど、再生の光は強く差す
あらすじ
学生時代、合気道部の仲間同士だった青子、玄也、茅乃、卓馬の四人は30代になり、それぞれの挫折を抱えていた。生後すぐの娘を亡くした青子。パワハラで会社を辞めてから引きこもりになった玄也。乳がんになり乳房の摘出手術を受けることが決まった茅乃。コロナ禍で家族との関係に不和が生じた卓馬。「普通」という道はいつしか遠ざかり、理不尽な出来事や無理解が彼らを更に苦しませる。喪失と友情を描いた感動の連作短編集。
おすすめのポイント!
コロナ禍において、私達は「当たり前だと思っていた物事がいかに尊いものであったか」に気付かされました。彩瀬さんは作品のタイトルに、「新しい星に叩き落とされたみたい」に激変した環境でもがく人々への、エールの意を込めたと言います。闇に足を絡め取られ、もう二度とここから抜け出せないのではないか。そんな不安に苛まれる日々も、長い人生にはあるでしょう。この作品には、人生の光にも影にも寄り添い、励ましてくれる強さがあります。
全く違う境遇を持ちながら生きづらい世の中を突き進んでいく四人の物語。それぞれが闇を抱えていて、かたや「あっていいよね」と思う人がいる一方で「ない方がいいよね」と思う人もいる、複雑な無い物ねだりの人間模様を映し出している。そんな中でも、ドロドロした関係に発展しないのは、四人の圧倒的な連帯感と信頼感に尽きるであろう。結末が決して良いものでなくても、前を向いて生きていこうと思える、非常に爽やかな読後感だった。
2.彩瀬まる『あのひとは蜘蛛を潰せない』(新潮文庫)“正しい”の不確かさ
あらすじ
28歳のドラッグストア店長・梨枝が夜勤明けで帰宅すると、栄養バランスを考えた母の手作り朝食が待っている。生活に正しい母の愛を重いと感じる反面、梨枝は、母には自分が必要と思い込んでもいた。しかし、恋愛をきっかけに家を出た梨枝は、初めての一人暮らしで開放感を得ると共に、母のありがたみにも気付かされる。「みっともない女になるな」という母の言葉はその後も梨枝を縛り続けるが——。正しくありたいと思う人にこそ読んでほしい長編小説。
おすすめのポイント!
完璧な人間などいないと分かっていても、「正しくあろうとすることは善である」という風潮があります。その一方で、どんなにみっともない自分でも受け入れてほしい、それでこそ愛ではないかと感じることもあるのではないでしょうか。この作品には、色んな形の弱さを持った登場人物が出てきます。ですが、弱いだけ、ずるいだけの人はおらず、どこかに強さや優しさが地層のように重なっているのが人間かもしれません。弱さも優しさも、等しく掬い取ってくれる物語です。
こんなに「記憶しておきたい文章」が多かった本は初めて。言葉のセンスがとんでもなく最高でした。強いていえば、全て無くした状態の主人公を見てみたかった。脳内が思考で溢れかえってしまう、人に優しくありたい、正しくあろうとする人にオススメしたい。
きっと、沼にハマります。
3.彩瀬まる『神様のケーキを頬ばるまで』嫉妬も劣等感も挫折も、本気で生きているから
あらすじ
シングルマザーとして子供二人を育てているマッサージ師。一等賞に憧れ続けた、喘息持ちのイタリアンカフェバー店長。バンド仲間の才能に、複雑な思いを抱く古書店バイト。見た目や建前を重視して、本質的な部分で恋人と繋がることが出来ないIT企業のOL。意見の食い違いから、相棒と袂を分かつこととなった人気パンケーキ店の元経営者。一生懸命、だから躓く。ありふれた雑居ビルを舞台に、リアル感のある人間模様を切り取った五つの連作短編集。
おすすめのポイント!
苦しくて立ち直れないほどの挫折や、信じられないようなサクセスストーリー。人生にはドラマチックな出来事も起こりうる一方で、一生懸命にやっているつもりでも、ままならなさや諦めを感じて生きている人も多いのではないでしょうか。この作品では、華やかなヒーロー・ヒロインをそばで眺めているような、もどかしさの中で生きる五人が主人公になっています。『深海魚』という映画に対するそれぞれの想いの差が、人物を鮮やかに際立たせる手法も技巧的。幸せの輪郭が見えるような、読みやすい連作です。
ラストまで読んで、タイトルの意味を知った。もしかしたら、筆者の望んだタイトルじゃないかもしれないけれど(本にはそういうことがままあるから)、それでもこのタイトルはとても腑に落ちた。そう、神様のケーキを頰ばるまで、あと少しだけ。(がんばろう)
4.彩瀬まる『やがて海へと届く』世界には不在が積み重なっている
あらすじ
ホテルのダイニングバーで働く真奈は、一日に何度も、親友・すみれのことを思う。もう三年なのか、まだ三年なのかは分からない。ある日、彼女は息抜きに出かけてくると言った。その翌日、東日本大震災が起きた。それきり、すみれは消息を絶ったままだ。悲しみを抱き続ける真奈を訪れたのは、すみれの恋人だった遠野敦。彼は引越しにあたり、すみれの物を処分するので立ち会ってほしいと頼む。しかし、すみれへの想いの違いから、二人は言い合いになり……。
おすすめのポイント!
世界中に深い悲しみが広がった震災から12年。あの日、著者の彩瀬まるさんは、一人旅の途中で被災しました。何か一つ、条件が違えば死んでいたかもしれない。そんな実体験が生み出した作品です。大切な人を失うことは、自分の一部が欠けてしまうほどの苦しみや痛みを伴います。ですが、私達が例外なく死を迎えるということも事実です。死生観について考えさせられる本作は、2022年に映画化。被災経験のルポルタージュ作品『暗い夜、星を数えて:3・11被災鉄道からの脱出』の併読もおすすめです。
読後に込み上げるこの想いはなんだろう。ありふれた言葉では形容できない。生者は喪くした人を日常に探してしまう。どうしようもなく、その人の痕跡を探してしまう。それが苦しく、胸をかき立ててゆく。やがてもう訪れることはないと人は知り、人はそれぞれのやり方で明日への一歩を踏み出す。それは残された者の抗いの記憶。その過程を真正面に見据え、丁寧な筆致で描かれた本作は何度も読みたくなる一作。
5.彩瀬まる『さいはての家』逃げ出すのは、生き延びるため
あらすじ
行き詰まった人々は引き寄せられるように、ある一つの家に辿り着いた。駆け落ちした雇われママと常連の男。逃亡中、同級生と偶然出会ったヤクザ者。かつて、殺人事件を起こした新興宗教の元教祖。親の決めた人生のレールから、とうとう脱線した姉とその妹。仕事と子育てに追い詰められ逃げ出した男。入れ替わり立ち替わり、彼らは傷ついた羽を休めるように、人生のひと時をその家で過ごし、そしてまた、社会の荒波の中へ戻ってゆく。
おすすめのポイント!
物語の中盤で姿を眩まし、二度と現れない脇役のその後が、子どもの頃から気になっていたという彩瀬さん。この作品では、この世に居場所がないという苦しみを抱え、逃げ出した人々のその後を想像力豊かに書き出しています。それでも死を選ばず、足掻くように「さいはての家」に住まう彼らは、本当は誰よりも強く生きることを希求しているのではないでしょうか。心の内側に宿る闇を悪であると断罪するのではなく、丁寧に拾いあげる描写に心を動かされる本作は、ブクログ内でも話題になりました。
何かに行き詰まった人が流れ着いてくるある家が舞台の連作短編集。終わりの空気感を描くのが本当にうまい作家さんだなぁ。誰もが持つ自分の内側の暗い部分が丁寧に描かれてざわざわした。あと、たびたび出てくる場面の庭からの光が入ってきたときの描写がすごい。頭に映像として浮かぶのは文章力がすごいからなんだろうな。時系列に並んでると思ったらそうじゃなかった。「ままごと」が一番すき。
死や罪など重いテーマからも目を逸らさない彩瀬まるさん。しかし、作品から感じるのは陽だまりのような暖かさです。読みやすさと読み応え、どちらも兼ね備えた彩瀬作品の中から、気になるものをぜひ手に取ってみてくださいね。