こんにちは、ブクログ通信です。
長崎県で生まれたカズオ・イシグロさんは、5歳の時にイギリスへ移住。英・ケント大学を卒業後、フェイバー社刊行の『新人集・七』に収録の3編『不思議に、ときには悲しく』『Jを待ちながら』『毒殺』でデビューしました。1982年に『女たちの遠い夏』で「王立文学協会賞」を受賞し、本作は日本でも『遠い山なみの光』と改題され刊行されました。1989年には英語圏最高の文学賞である「ブッカー賞」を『日の名残り』で受賞。その後も出版した作品は次々に話題作となり、2017年には「ノーベル文学賞」を受賞しています。
そんなイシグロさんの作品は、どれも読みやすく、上品な文章から成っています。悲哀、郷愁、そしてユーモアが編み込まれたイシグロ作品の中から、今回は特におすすめの5作品を集めました。
『カズオ・イシグロさんの経歴を見る』
1.カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』彼女たちに委ねられた「役割」とは
あらすじ
介護人のキャシーは、「提供者」である親友のトミーやルースのお世話をしながら、生まれ育った施設・ヘールシャムを回顧する。外界から隔絶された全寮制のその学校では、先生は保護官と呼ばれていた。毎週行われる健康診断やマダムの来訪。15歳になり、生い立ちに関する真実を知らされた彼女達は、残酷な運命に苦悩しながらも、与えられた使命を全うし……。
おすすめのポイント!
時にいびつさ、不穏さを感じながらも、甘やかな時間もあったヘールシャムでの生活。ただの少年少女であった彼らは、真実を知ったその日から、一つの役割のためだけに生まれてきた存在であることを自覚させられます。SFとして書かれた作品ではありますが、淡々と心に迫る筆致で描かれ、この世界のどこかに、もうヘールシャムはあるのかもしれないと思わされます。トゲでも刺さったように、ズキズキと心に痛みの残る作品。2016年には綾瀬はるかさん主演でテレビドラマ化されました。
ドラマで観ていたのでストーリーは大体わかっていたのですが、原作を読んでみたら、ドラマでの衝撃的な部分よりも、登場人物の青春物語のような部分が強く感じられた。臓器提供の話は何かを暗示していて、実は日常的なごく当たり前の話なのではと思ってしまう。教育というものを受けることで、気がつくといつのまにか、無自覚に自分たちを「提供」してしまうようにさせられているのではないか。その教育に疑問を持たないことが問題であって、彼らはそれに気づかせようとしている。自分たちの問題として考えていきたい。
2.カズオ・イシグロ『日の名残り』失われゆく、古き良き英国
あらすじ
2世紀に渡りダーリントン家に所有されていた屋敷は、アメリカ人の富豪・ファラディ氏により買い取られた。だが、熟練の雇人は次々に離職し、屋敷に残ったのは執事・スティーブンスとわずかな者のみとなってしまった。ある日、ファラディ氏に勧められ、短い旅に出たスティーブンスは、一人の女性を訪ねる。美しい英国の田園風景に過ぎし日を思う、人生の黄昏時を描いた名作。
おすすめのポイント!
良き時代の英国を象徴する「執事」を主人公に、イギリスの貴族社会への郷愁をテーマにした本作。時代の象徴的人物であるスティーブンスは、理想の執事であるため、主人に忠実であるために、品格を学び、時に自分の心を殺して、今日まで生きてきました。彼は時代の移ろいの中で、英国の伝統に誇りを持ってきたこれまでを振り返り、懐かしみ、胸に刻みつけてゆきます。ユーモアとペーソスを織り交ぜ、上品な言葉で語られる物語は、現代を生きる私達にも共通する問いを残します。
書評にもあったが時間経過の表現が巧みで、すぐ本の世界に浸れた。そしてこんなに自然で読みやすい翻訳は初めてでは、と感激した。旅を続け、栄光と衰退の過去と向き合うスティーブンスはどこか寂しそうにみえた。自分の半分を失ったことで、どこに心を置いていいのか分からなくなったんだろうな、と。だからこそ海辺のシーンが輝いてみえて、少しホッとした。自分の役割を達成することが仕事だと改めて気づいたスティーブンスには明かりが灯ったようで、それが未来を照らしているように感じた。気品溢れるステキな本だった。
3.カズオ・イシグロ『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』人生の夜が聞こえる
あらすじ
ベネチアの街でゴンドラから、妻への愛のセレナーデを歌う『老歌手』。大学時代の親友夫婦のため、一肌も二肌も脱いでしまうアラフィフ男性をユーモラスに描いた『降っても晴れても』。美の神からは微笑まれなかったサックス奏者が、妻を取り戻すために整形手術を受ける『夜想曲』。夫婦の危機や才能をテーマに、哀愁溢れる筆致で物語った、著者初の短編集。
おすすめのポイント!
「ブッカー賞」や「ノーベル文学賞」を受賞していることから、「カズオ・イシグロは難しいのではないか」と思っている方に、まず手に取ってほしいのがこの短編集。情景を想像してふつふつと笑いがこみあげてくるような、コメディ要素がたっぷりと含まれており、イシグロ作品への親しみを感じられます。「5編を一つのものとして味わってほしい」と著者が語る本作は、それ自体が一つのアルバムのよう。光と影が入れ替わりゆく夕暮れを、音楽と共に楽しみたい一冊です。
常に音楽が流れている短編集。冷めきった関係を復元しようとする老歌手や、メジャーデビューのために整形手術を受けるミュージシャンとか、設定が微妙に現実離れしているところに面白さがあって、すぐ読めてしまいます。面白くて品のある短編集です。
4.カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』記憶を取り戻す旅を描いたファンタジー小説
あらすじ
アーサー王の死後、ブリトン人の老夫婦、アクセルとベアトリスは、遠い地で暮らす息子に会うため旅に出た。少年と戦士を仲間に加え、修道院では命の危険に晒されながらも、二人は互いを気遣い、旅路を進む。霧に覆われたブリテン島を舞台に、曖昧な追憶の世界へと読者を誘う物語。夫婦の過去、そして旅の終わりに待っているのは——。四部から成る長編小説。
おすすめのポイント!
本作では夫婦という最小単位の社会と、国や世界というマクロの社会を組み合わせ、唯一無二の物語に仕立てています。どんな夫婦にも、どんな国にも、輝かしいだけのものはなく、忘れてしまいたいような記憶があるもの。諍いを起こすのではなく、手を取り合い、愛に生きるためにはどうすれば良いのか、指針になる傑作です。竜や巨人が出てくる冒険譚は、神話のように読むこともできるでしょう。空想と現実のレイヤーが重なる瞬間、重大なテーマが立ち現れます。
記憶が失われていくことは幸か不幸か。記憶を奪う「霧」に疑問を抱き、消えゆく記憶を頼りに息子に会いにいく老夫婦の旅物語。刺激的な展開やロマンスがあるわけではなく、物語全体にも霧がかかったように、最後まで話が見えにくい。にもかかわらず、読後には何が正解だったのか、ラストをどう解釈するか、とにかくこの物語について考察したくなり、作品の世界に引き込まれていたことに気がつく。海外文学を読み慣れていない人にはおすすめできないが、カズオイシグロの巧さを感じられる作品。
5.カズオ・イシグロ『クララとお日さま』心とは何かを問う感動作
あらすじ
ショートヘアで浅黒い肌を持つクララ。子供達の人工親友(AF=Artificial Friends)として売られている彼女は、太陽光を栄養としている。他の個体とは並外れた観察眼と共感能力で世界を学ぶクララは、ある日、少女・ジョジーの家に買われてゆく。病弱なジョジーに献身的に尽くすクララだが、その一家にはある秘密があり……。AI開発が進む今、読んでおきたい最新作。
おすすめのポイント!
人工親友であるクララ視点で書かれた本書。発展とは人間のエゴなのかもしれないと、心に迫る物語です。あくまでクララの目で見たままの世界を書いているため、戸惑いを覚えるシーンもあるかもしれません。ですが、AIとの共生が身近になってきている現代、AI側の目を知ろうとする試みは興味深いものではないでしょうか。なお、本作はタイカ・ワイティティ監督が映画化の交渉に入ったと報じられています。小説で想像力を試しつつ、映像化を心待ちにしたい作品です。
イシグロさんの世界観に引き込まれました。クララの思考の理屈に沿った部分と、太陽への崇拝の姿勢のような非科学的な部分とがあることで、クララに見えている世界観をまるで自分が感じているかのように味わうことができました。ラストの廃品置き場でのシーンでは、人間とロボットの間の超えられない壁のようなものを感じさせられました。「わたしを離さないで」もそうですが、イシグロさんの作品は読了した後に、もう一度読んでみたい気持ちになります。
「壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵を発見した」という理由で「ノーベル文学賞」を受賞したイシグロさん。その深淵に描かれた物語を読めば、自分の範疇を超えた世界に触れることができそうです。