This book explains how Chicago School's radical Liberal Crusade has been applied in every corner of the world and how it is damaging to indigenous society. Crisis which appears in different shape ranging from natural disaster, financial or debt crisis to war offers good chances for radical reform because mentally it makes local society disoriented and physically it helps replace local culture and traditional root with clean slate, where radical liberalization is comfortably injected and exercised. This book adopts a great deal of examples to show how contemporary capitalism is exploitive and injected in forceful manner.
本書によって、1970年代以後、現在に至るまで世界中で猛威を振るった新自由主義の罪悪に光をあてる。いくつかの経済政策が実施されるに至る直近の要因(各種の危機)と、それがもたらした帰結を通して「惨事便乗型資本主義」を知ることが出来る。豊富な資料と取材が、隠された今日の資本主義の一貫したかたちを描き出している。
<疑問>
⑴、なぜ自然災害から金融危機、戦争に至る多くの「危機」が、他のイデオロギーではなくフリードマンに代表されるシカゴ派の経済思想にその「活躍」の機会を与えるのか、
危機は確かに変革の機会であるが、それ自体は価値中立である(かつては大恐慌がケインズ主義へのきっかけであった)。今回はシカゴ派の出番だとすれば、かつてはケインズ主義が主流派経済学の見落とした雇用とデフレの問題に有効に対処したように、シカゴ派経済思想も必要とされたその背景がある。なぜ、この経済思想が受けて、都合良く用いられたのかにあまり触れられていない。1970年代以後の金融資本主義化、米国のビジネスモデルの変化、福祉国家への反発、米国のアンチ国家的な伝統など考慮すべき点が多くある。
更に言うと本書は、少しフーリドマンの経済思想を過大評価しすぎている。フリードマン自身はIMFを含め国際機関そのものには懐疑的だったと言われるし、IMFのような「最後の貸し手」の存在はモラルハザードを理由に反対するのは主流派自由主義者の常である。
⑵、なぜ危機を利用して私腹を肥やせる仕組みがあるのか。
本書で述べられているのは、例えば9.11後のHomeland Securityの構想からイラク戦争において、政府首脳には軍需産業や石油産業などの大物が入り込み、自らの関連企業の利益に適うような政府の政策を、政府から民間への外注を装い実行したことが描かれる。問題なのは、なぜかつてはそのようなことがなかったのか、何が変わったのか、経営者と政治との距離が近づくことは何を意味するのかと言うことで、繋がりを指摘するだけでは不十分だ。例えば、日本の1920~30年代では、財界と政府の関係はきわめて密接であったが、それと今日とは何がどう違うのか。