エーコの文学講義―小説の森散策

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本棚登録 : 69
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000002110

感想・レビュー・書評

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  • 1992~93年、イタリアの作家ウンベルト・エーコは、米国ハーバード大学で、通称ノートン・レクチャーズを行った。1920年代から続くノートン・レクチャーズは、詩人のT・Sエリオットやボルヘス、オクタビオ・パスやストラビンスキーといった、世界で活躍している詩人や音楽家あるいは小説家や批評家などを招いておこなわれる、詩的コミュニケーション形式の講義。
    本書はその講義録で、テクスト(本)を広大な「森」とみたて、そこを楽しく散策してみよう、というもの。とりわけ物語に流れる「時間」という概念を深く考察しているところは素晴らしい。

    もちろん私の頭では、彼らの講義録を一度読んだだけで理解できるわけがないので――というか何回読んでも理解できない――好きな作家や詩人の作品を再読したり、ほかの本を読んでいる際にふと繋がりができたとき、何度も触れてみる。きっとその講義をする作家や詩人たちに会いたくなるのだろう。書架に手をのばせば、いつでも最高の知的好奇心を刺激してくれる講義を受けることができる、嬉しくてしかたない。

    エーコによると、テクストの時間とは、①物語の時間、②言説の時間、③読書の時間がある。①と②は、映画の場面(=シーン)では一致するものの、テクストでは必ずしも一致しない。たとえば、1ページで1000年すぎることもあれば、1日が30ページになる場合もある。③は、たとえば膨大な描写や緻密な細部が情景描写というよりも、読書の時間を遅くさせ、作者がテクストの享受に必要である、というリズムを読者につかませようとしている場合がある、というわけだ。

    たしかにトロイヤ戦争に出征し、故国イタケに戻るまでのオデッセウスの20年は瞬く間、過ぎ去った時間と記憶は運命の糸車のようにからから回る。かと思えば、冒頭から眠れない男の夢うつつに何ページも費やす……呆然と傍からながめているうちに、これからはじまる長大な夢想を想わせる『失われた時を求めて』。いつまでも続く美しいコモ湖の情景、湖面をわたる冷たい風にしだいに不安は募っていき、故国への愛惜と物語の波乱を予感させる『いいなづけ』……なるほどエーコの言説はとても明快。

    読むのに妙に疲れたり、多大なエネルギーを使うテクストは、①と②が忙しすぎて頭がついていかず、息抜きやリズム調整のための③が不親切なのかもしれない。そうかといって、終始、膨大で細かい情報、すべての登場人物の顔立ちから服装の逐一まで描写されるのは、うんざりする。
    この点、目が覚めるとベッドの上で奇怪な虫になっているグレゴール・ザムザ、①と②はあまりにも破天荒で、雷に打たれた読み手は呆然となる『変身』。でもそのあとは、妙にゆっくりとグロテスクな虫の描写。どこかで見たことのある虫の腹や足、緻密な細部の描写がなぜか冒頭の衝撃を和らげ、鎮静化させていくのは、一体どういうことなのか? しかも滅入る虫の腹からザムザの毛布がずり落ちそうになっている。とんだ災難に見舞われたザムザに溜息さえ漏れてくる。でも巨大な虫の腹に毛布がかかっている滑稽な図に、しだいに笑いが萌してくるのだ。そう、神は細部に宿る。細かい部分までこだわり抜くことで完成度が高まるわけだが、あくまでもその細部とは限局された部分ということではない。作品全体のバランスやリズム、そして美しい空(虚)を含めた時空間を創出したきめ細やかさにこそ、何ものかが宿るのだろう。

    「森は散策の場所です。……のんびりするというのは時間を無駄にすることではありません。なにか決定を下す前には、しばらく立ち止まって、よく考えてみるものです」

    こうした時間とリズムの考察については、カルヴィーノやミラン・クンデラも再三、言及しているは興味深い。それを意識しながらテクストをながめてみるだけでも、なんだか読書が違うものになったような気分――こんな他愛のない勘違いも、わたしの人生には必要かも♪

    さて、道草は決して無駄ではないことはわかった、問題はたんなる埋め草のような描写はどうやって見分けるのか? 読者の力量が試されるのだろうが、さらにうわての作家は、埋め草だと思って読み飛ばしている読者を見据えながら書いているように思える、エーコ、プルースト……。

    森の散策は作者と読者の共同作業でありながら、ある種の知的攻防戦が繰り広げられる磁場のようなところでもある。一筋縄ではいかない深遠な森だからこそ、そこに遊び、ときには転んでみたり、澄んだ空気を吸いながら静かに散策してみる愉しみがあるのだろう。(2020/3/30)

    ***
    「本の読み方を学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかを知らない。
    私はそのために80年を費やした。
    そして、まだ今でも目的に到達しているとはいえない」――ゲーテ

  • 物語がもっと好きになった!とても楽しい散歩だった。

    1 森に分け入る
    2 ロワジーの森
    3 森のなかの道草
    4 可能性の森
    5 セルヴァンドーニ街の奇怪な事件
    6 虚構の議定書

    だめだ…『シルヴィー』を例にとった、
    馬のいない馬車のところ(p118)でどうしても笑ってしまう。

    やさしい語りだけど、
    意味をしっかり把握しながら読み進めるのが難しくて、
    何回も繰り返して読んだ。
    だけど面白かったなあ……面白かったー。

    ダンテの『神曲』やクリスティ『アクロイド殺し』みたいに、
    よく知られている作品も例として出てくるし、
    エーコが遭遇した出来事の話も面白い。

    色んな思考実験をやってみる章もある。
    これだけ楽しんで物語論について理解を深めることができるなんて、すごいなあ。

    なによりエーコが「本を読むことは遊びだ」と言ってくれている事が嬉しかった。
    確かにそうなんだ、
    本を読むことはこんなに楽しいんだから。

    これから少しずつ内容を書き取っていこう。

  • そもそもエーコの作品すら読んだことのない自分のような者にとっては、このハーバード大における文学講義の内容など、とても理解できる内容ではなかった。
    文中に引用されている先品すら読んだことがないのに、その一部を詳しく説明されても、どんな論証になっているのか見当すらつかなかった。
    こういう本は、大学院等で文学研究をしている専門家が読むべきもので、一般の読者が読むべき代物ではないというのが個人的感想である。

  • 2009/7/5図書館にて借りる
    2009/

    p123
     パリはペレックやエーコの小説が描いているより、はるかに複雑な空間なのです。ところが物語世界を散策することは、子どもにとっての遊びと同じ機能を担っています。子どもたちは、人形やおもちゃの木馬や凧を使って遊びながら、物理の法則や、いちかは真剣に取り組まざるを得ない行動といったものになじんでいくものです。同様に、物語を読むことも、遊びなのです。この遊びを通して、過去・現在・未来にまたがる現実世界の無限の事象に意味を与えることを学ぶのです。小説を読むことによって、わたしたちは、現実世界について何か真実を言おうとするときに感じる不安から逃れるのです。
     これが物語の治癒機能であり、人類が原始以来、物語を作り続けてきた理由なのです。それはまた、神話の持つ最高機能、すなわち混沌とした経験にかたちをあたえる機能でもあるのです。

    p202,203
     さてわたしたちは、小説が現実の人生を侵蝕することによって、歴史がどのような影響を蒙るかを見てきたわけですが、それではこうした現象にわたしたちはどのように対処するべきなのでしょうか?このわたしたちのささやかな小説の森散策が、私たちの時代がかかえる深刻な悲劇の代償になるなどと考えていただきたくはありません。とはいいながら、わたしたちは、小説の森を散策したおかげで、小説という虚構が現実の人生を侵食するメカニズムを理解することができるのです。その結果が、ときには、ベイカー・ストリート巡礼といった愉快で罪のないものだったりもするわけです。ですが時として、現実の人生を、夢ではなく、悪夢へと変貌させてしまうこともありうるのです。こうして読者と物語、虚構と現実との複雑な関係を考察することは、怪物を産み出してしまうような理性の眠りに対する治療の一形式となりうるのです。

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著者プロフィール

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)
1932年1月5日 - 2016年2月19日
イタリアの作家・評論家・研究者。イタリア共和国功労勲章受章者。
1980年に小説『薔薇の名前』(lI nome della rosa)を刊行。それまでの中世美学や記号論の知見や研究成果をふんだんに用いて、フィクションの記号論的分析、聖書分析、中世思想研究、文学理論などを盛り込んだミステリー作として全世界でヒットし、映画化もされた。その他の小説作として『フーコーの振り子』(Il pendolo di Foucault)、『前日島』(L'isola del giorno prima)、『プラハの墓地』(Il cimitero di Praga)、『バウドリーノ』(Baudolino)など。
本来の出自である美学者・記号論学者としても、『中世美学史』『記号論』『ウンベルト・エーコの文体練習』など、世に知られた作品は数多い。

ウンベルト・エーコの作品

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