現代芸術の地平

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000005722

感想・レビュー・書評

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  • 著者の現代芸術についての論考を収録しています。

    著者は、戦後の日本において独創的な身体論を構想したことで知られる哲学者であり、本書でも生きられた身体と空間の観点から、芸術についての議論がなされています。とくに建築と演劇にかんする論考が多いのも、著者がこうした視点に立っていることによるといってよいのではないかと思います。

    「『エウパリノス』について」と題されたエッセイでは、ヴァレリーの『エウパリノス』におけるパイドロスとエウパリノスの「美」をめぐる問答についての検討がなされています。著者は、肉体が宇宙へと開かれ、宇宙に交わっているというエウパリノスのことばに注目し、その問いかけがソクラテスの「汝自らを知れ」という教説の「アンチ・ソクラテス」的な意味を提示していると主張します。ここに著者は、ヴァレリーから引き継いだ「錯綜体」の概念に通じる発想を認め、われわれの知覚的世界を超えた存在へとわれわれを連れ出す導きの糸を見いだしています。

    著者はこうした問題意識のもとで、建築家の磯崎新や白井晟一、能楽者の観世寿夫、演劇科の寺山修司や鈴木忠志などの作品世界についての解釈をおこなっています。とくに磯崎についてはくり返し論じられており、彼がユニヴァーサル・スペースに象徴される空間の「普遍性」を反転することで、局所的な空間から出発して混交的な「インターナショナリズム」へと到達したという理解が提出されています。

    このほか、ジャコメッティの超克にかんする議論も示唆的な内容を含んでいるように感じました。著者は、ジャコメッティがロダンから影響を受けていることに着目しており、針金のようにそそり立つマッスにおいて空間の「深み」の次元を読み取ることができると論じています。

  • 彼特有の現象学的身体論でもって60年代、70年代に活躍した建築・美術・演劇・舞踊などの作家たちの仕事を読み解いた論集。演劇でいえば、夭逝した観世寿夫、同じく寺山修司、そして鈴木忠志。とくに「他者による顕身」と題した鈴木忠志論は稿も多く詳しい。利賀山房だけでなく常連のようにその舞台によく親しんだのだろう。
    私自身、市川の「精神としての身体」や「身体の現象学」は、メルロ・ポンティの「知覚の現象学」や「眼と精神」とともに教科書的存在として蒙を啓いてもらってきたし、同時代を呼吸してきた身としても、彼らの仕事に対する市川の読み解きはずしりと重さをもって得心させられる。
    ふりかえってみれば、戦後60年のなかで、中村雄二郎ら哲学者たち或いは文芸評論家の蒼々たる顔ぶれが、芸術の実作者たちと真正面から向き合い、互いに共振・共鳴しあった、特筆に価する時代が60年代、70年代だった、といえるだろう。

    Slow-motionとClose-up

     日常の行動であれ、スポーツの動作であれ、それがSlow-motionで再現されると奇妙に舞踊といったものに似てくるという経験はだれにでもあるだろう。

     動きというものはそれがゆっくりと展開されればされるほど、Reality=現実感から遠ざかるものなのだ。日常的な行動としての意味やスポーツの動作としての意味は失われ、既視感に満ちた一連のまとまりは解体させられ、なんともしれぬ不気味とも不可解ともいうべき世界が立ち現れてくる場合がある。

     それは空間的にいえば、micro-微視的からmacro-巨視的へ或いはその逆行、detail=細部の超Close-upにも似ているといえよう。Close-upが映し出すなにか得体の知れない不気味なものへの不安は、カメラが引きその全景が見えてくるにしたがい、それが眠っている人の瞼のひきつりに過ぎないことが分かってしまえばやっと安心することになるが、Slow-motion化はその逆の過程といっていいものだ。

     日常的な行動のひとつひとつにも、はじまりかけては抑止され、意識されないまま未発に終ってしまう可能的行動のさざなみのようなものがある。それらのさざなみにともなう無意識の情動は、日常的な行動の連鎖に覆い隠され、抑圧ともいえぬほどの軽微な抑圧によって滓(おり)のように沈殿し、われわれ自身気づかぬ鬱屈を積もらせていく。

     Slow-motionやClose-upは、日常的・実用的な行動の意味を解体させることによって、未発に終った可能的行動や表出されなかった鬱屈を滲み出すように現前させる。それと同時にわれわれの眼差しを非日常的な視線へと変換することによって、Metaの眼の可能性さえも開示することになる。

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著者プロフィール

市川 浩(イチカワ ヒロシ):1957年京都市生まれ。専門は科学技術史。現在、広島大学総合科学部教授。博士(商学)。大阪外国語大学ロシア語学科卒業、大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程修了。著書『冷戦と科学技術――旧ソ連邦 1945~1955年』(ミネルヴァ書房)、『核時代の科学と社会――初期原爆開発をめぐるヒストリオグラフィー』(丸善出版)、Soviet Science and Engineering in the Shadow of the Cold War(Routledge, 2019)、編著『科学の参謀本部――ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究』(北海道大学出版会)など。

「2022年 『ソ連核開発全史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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